ディアナ号の錨と大砲

最終更新 2019.2

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  1854年(安政元年)、日露和親条約締結交渉のためエフィム・プチャーチン一行を乗せて来日した軍艦ディアナ号は、同年12月23日に発生した安政東海地震による津波で大破した。そして、修理のため下田港から戸田港に向かう途中、富士市三四軒屋沖に沈没した。沈没前に揚陸していた52門の大砲が日本に贈与された。

 昭和29年及び昭和51年にディアナ号の碇が引き上げられた。

 昭和29年に引き上げられた錨は沼津市立戸田造船郷土資料博物館に置かれている。昭和51年に引き上げられた錨は富士市三四軒屋緑道公園に置かれている。

 東京都の靖国神社遊就館の前に展示してある大砲にはディアナ号のものであるとの説明がつけられている。また、横須賀市三笠公園の戦艦三笠のそばにも、ディアナ号のものとの説明とともに大砲が展示されている。




ディアナ号の錨

 安政大地震による津波でディアナ号を失ったプチャーチン一行は、日露和親条約締結交渉と共に沼津市戸田で帰国のための船舶造船を行った。この時、造船作業に参加した日本人たちは、近代造船技術を身に着けた。沼津市立戸田造船郷土資料館には関連資料の展示がなされている。

昭和29年に引き上げられた錨(沼津市立戸田造船郷土資料博物館)

沼津市立戸田造船郷土資料館の入口前にはディアナ号の錨が展示されている 資料館に置かれたプチャーチン像



昭和51年に引き上げられた錨(富士市三四軒屋緑道公園)

ディアナ号の錨とプチャーチン像 説明版


 

ディアナ号の錨 プチャーチン像



ディアナ号の大砲


靖国神社遊就館にあるディアナ号の大砲・・・あやしい

 東京九段にある靖国神社は、日本軍人の戦死者を英霊として奉慰顕彰するための施設。遊就館は靖国神社の展示館で戦争賛美のパネル展示がメイン。メインがパネル展示なのに入館料は1000円と高い。

 遊就館前には三門の大砲が展示されている。このうちの一門の説明では以下のように、ディアナ号のものであるとされている。

靖国神社による説明 

 鋼製三十封度(ポンド)船用加農砲
 安政元年(1854)、伊豆下田港外に碇泊中の露国軍艦デイアナ号は、大地震の津波により坐礁した。
 乗組員は幕府に請い、スクーナ船二隻を造り、これに乗じて帰国した
 後露国政府はデイアナ号の備砲五十二門を幕府に贈り、その厚誼を謝した。
 本砲はその一門である
 
遊就館前の大砲 ディアナ号の大砲であるとの説明

 靖国神社の説明は本当だろうか。この神社は、嘘をついて国民を戦争の泥沼に引き込んだ前科があるので、説明もにわかには信じられない。
 靖国神社の説明ではディアナ号のものであるとされているが、大砲上部には英王室マークと思われる紋章が描かれている。

大砲上部のマーク
英王室のマーク?
大砲に施条(ライフリング)はない



遊就館前には青銅製大砲が二門展示されている。

 このうち、青銅80ポンドカノン砲は東京湯島で鋳造されたとの説明がある。青銅の鋳造は易しいので、当時の日本の技術でも十分に鋳造できたことは確かだ。しかし、この砲には何やら西洋風の刻印があるので、靖国神社の説明の信憑性は怪しい。

靖国神社による説明
 青銅八十封度(ポンド)陸用加農砲
 この砲は安政元年年(1854)、湯島馬場大筒鋳立上で鋳造、品川台場に据付けられていたものである。

青銅80ポンドカノン砲 西洋風の刻印 つぶれている 靖国神社の説明版


 青銅150ポンドカノン砲は薩摩で鋳造されたあと、明治初年に施条されたとの説明がある。青銅は融点が低いので鋳造しやすいが壊れやすい。明治になってから施条を施してまで改造する必要があったのだろうか。靖国神社の説明は疑問だ。

靖国神社による説明
 青銅百五十封度(ポンド)陸用加農砲
 この砲は嘉永二年(1849)、薩摩藩で鋳造、天保山砲台に据付けられていたもので、明治初年大阪砲兵工廠が砲身に施條を施した。
青銅150ポンドカノン砲 施条(ライフリング)がある 靖国神社の説明版

 このほか、遊就館内には韮山反射炉で鋳造されたとの説明がある1m強の大砲が展示されている。この大砲には施条(ライフリング)がある。しかし、韮山反射炉の記録によれば、鋳造された大砲は3m鋳鉄製と、青銅製の臼砲であり、施条はなかった。遊就館の展示は、誤りの可能性が高い


横須賀市三笠公園のディアナ号の大砲・・・あやしい

 靖国神社のほかに、三笠公園にもディアナ号の大砲一門が展示されている。ただし、こちらの説明は「ディアナ号の備砲と推定」となっていて、ディアナ号のものとは明記されていない。ただし、推定の根拠が書かれていないので、信憑性は不明だ。靖国神社のものには、英王室と思われるマークがあったが、三笠公園の大砲にはこのようなマークはない。

海上自衛隊の説明

1848年製30ポンドカノン砲
 この大砲は、安政元年(1854)11月4日伊豆下田港において、大地震のために座礁破損した露国艦隊軍艦ディアナ号の備砲と推定されます。
 米海軍横須賀基地に保存されていたのを此の度、同基地司令官ハウエル海軍大佐から寄贈されたものです。
 この姉妹と思われる大砲が遊就館(靖国神社)に保存されています。
 昭和62年5月22日   海上自衛隊横須賀地方総監部
大砲 戦艦三笠

説明版 施条はない 靖国神社遊就館前の大砲と違ってマークはない




函館五稜郭公園のクルップ砲とブラッケリー砲

 函館五稜郭公園にはクルップ砲とブラッケリー砲が展示されている。ディアナ号の大砲とは関係ない。


ブラッケリー砲:
 旧幕府脱走軍が新政府軍艦を攻撃するために築島台場に設置したものと思われる。

クルップ砲:
 新政府軍艦「朝陽」の艦載砲で函館砲撃に使われたものと思われる。「朝陽」は旧幕府軍艦「蟠龍」に撃沈された。

ブラッケリー砲
イギリス オードナンス社製の大砲
クルップ砲
ドイツ クルップ社製の大砲



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