日露関係ゆかりの地

北海道 江別市

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樺太アイヌ強制移住(江別市対雁)
 
 樺太千島交換条約により樺太がロシア領になると、樺太アイヌはロシア国籍をとるか、日本国籍をとって日本に移住するかの選択を迫られた。日本政府は、樺太に近い宗谷に移住させることを約束し、これに応じたアイヌ841名が、日本国籍を取得した。しかし、日本政府は、彼等を労働力に使うことを考え、札幌近郊の対雁へ移住させた。対雁の生活は劣悪で、コレラや天然痘で大量の死者を出した。
 日露戦争に勝利した結果、南樺太が日本の領土になると、彼等の多くは、樺太に帰った。
 
 北海道江別市対雁14番1の江別市営・やすらぎ苑の一角に、樺太アイヌを慰霊する墓が立てられている。分かりやすい場所に有るが、場所を示す表示など何もない。やすらぎ苑の入口に、墓地区画を示す案内看板があったので、看板の写真に樺太アイヌの墓の位置を書き入れた。甲区の一番奥に当たる。
 

樺太移住旧土人先祖之墓
左側の石塔の裏面には由来が刻まれている
さらに左側には、アイヌの慰霊具「イナウ」  カラフトアイヌの人骨は霊園内のみではなく、隣の北海道電力用地にまたがっている。
 1961,62年、北海道電力が火力発電所工事のため、坊主山を崩したとき、大量の人骨が出土したが、これらはブルドーザーで踏み潰して、そのまま埋め立てられた。[参考文献:樺太アイヌ史研究会/編「対雁の碑」(1992.10)P21]



 霊園の少し西には、榎本武揚を顕彰する目的で作られた、榎本公園がある。この入口の看板にも、樺太アイヌに触れられている。北海道の鉱山開発は、主に囚人労働でまかなわれたが、榎本武揚は、強制移住させた樺太アイヌを鉱山労働に使役する意向だったとの話もある。
 この公園は、国道337号に面しておらず、わかりにくい。ホクトヤンマー本社の西側に当たる。

榎本公園の入口看板 榎本武揚の騎馬像



江別市郷土資料館

江別市郷土資料館は、縄文・続縄文・擦文時代の土器展示が豊富。しかし、その次に、いきなり開拓の話になる。中世のアイヌ文化の時代はどこに行ってしまったのだろう。


江別市郷土資料館入口 江別式土器
続縄文時代
擦文時代の土器


対雁学校の扁額


 対雁に強制移住させた樺太アイヌの子供を教育するために作られた学校。





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