日露関係ゆかりの地
徳島県美和町日和佐 高知県室戸市佐喜浜
(1771年、鎖国時代にロシア船が来航した)
最終更新 2016/5/6
画像をクリックすると拡大します。戻るときはブラウザーのバックボタンを使ってください。 モーリツ・ベニョフスキーはカムチャツカに流刑されているときに、犯罪者仲間とともに看守を殺害して脱獄し、船を奪って逃亡した。その途中、鎖国中の日本に立ち寄った。1771年7月8日、阿波国日和佐に来航するも、現地では上陸を拒否し、代わりに水・食料・燃料などを与えた。このとき、「ロシアが日本攻撃の基地を作っている」との嘘の手紙を渡したが、幕府を動かすことはなかった。
その後、土佐国佐喜浜に上陸を試みるも、ここでも拒絶された。
マカオに到達したベニョフスキーは、仲間を奴隷として売るなどし、自分はフランスに渡り、ほら話に満ちた航海記を著わす。この本の翻訳が東洋文庫から出版されている。
日本では、ベニョフスキーを「はんぺんごろう」と言った。
徳島県美和町日和佐
左写真:徳島県美和町日和佐の恵比須浜
ベニョフスキーが上陸を試み、水・食料などを受け取った場所は恵比須浜と推察されている。
右写真:徳島県美和町日和佐の恵比須浜を見下ろす、阿瀬比ノ鼻灯台
左写真:阿瀬比ノ鼻灯台の少し上の広場
このあたりに狼煙台があった。
右写真:阿瀬比ノ鼻灯台への登り口
登り口は奥まったところにあって、わかりにくい。ここから灯台まで30分ぐらい。
高知県室戸市佐喜浜
左写真:佐喜浜
右写真:室戸市佐喜浜市民館
今だったら、市民館で交流するところだろう。
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