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川路聖謨の墓
川路聖謨(かわじとしあきら)は大阪町奉行、勘定奉行などの要職を歴任し、プチャーチン来航に際して、応接全権として、1854年に日露和親条約を締結した。
1868年、江戸城開城直前、ピストル自殺した。
東京都台東区池之端2−1−21 大正寺
川路の墓所はわかりにくい。お寺の人に聞かないと、ちょっと難しい。
大正寺は日蓮宗のお寺です | 川路聖謨の墓 小さな墓石が1つ |
寺の入り口の案内看板 |
出久根達郎/著 『桜奉行 幕末奈良を再生した男 川路聖謨』養徳社 (2016/11)
本書は、奈良奉行時代の川路聖謨の伝記。 本書の著者は直木賞作家。
最終更新 2019.8
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