樺太 国境標石

最終更新 2018.12

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 日露戦争の結果、南樺太が日本に割譲されると、樺太中央部の北緯50度線が日露の国境になり、日本は4個の標石を設置した。
 4個には、それぞれ天第一号から天第四号と刻まれていた。さらに、幾つかのレプリカが作られた。

 4つの国境標石のほかに、17個の中間標石が設かれ、さらに19本の木柱が建てられた。森林地帯は幅10メートルの空間を作って境界線とし、無林地帯は壕を掘った。この作業は明治39年6月に起工し、翌40年9月に終わった。11月13日、小樽市近海郵船株式会社支店にて両国委員が調印をして国境画定作業は完了した。、

 日本の敗戦により、全樺太はソ連領に復帰したため、国境標石は取り除かれ、天第一号はユジノサハリンスクのサハリン州郷土博物館に、天第二号は根室市歴史と自然の資料館に展示されている。サハリン州郷土博物館には天第三号もあるが、これはレプリカで現物は行方不明との説がある。天第四号はサハリン在住の個人が所蔵しているそうだ。



 左写真は『根室市歴史と自然の資料館(北海道根室市花咲港209)』に展示されている天第二号


下の写真はユジノサハリンスクのサハリン州郷土博物館の天第一号の拓本で、北海道大学に展示されている。


戦前絵葉書の天第三号 領有30年記念絵葉書の天第四号

領有30年記念絵葉書の解説によると、国境標石は青森県産花崗岩を用、重さは27貫600匁(103.5s)〜48貫600匁(182.3s)。


中間標石、中間木柱

4か所の国境標石の中間に17か所の中間標石が設かれた。領有30年記念絵葉書の解説によると中間標石は36貫400匁(136.5s)。


三ヶ嶺の第15号中間標石(領有30年記念絵葉書)。




国境標石、中間標石の間に19か所の木柱が建てられた。

幌内川上流「境村」の中間目標(領有30年記念絵葉書)


森林地帯の幅10メートル範囲の
樹木を伐採した
(領有30年記念絵葉書)
森林がないところは壕を掘った
(領有30年記念絵葉書)



国境画定委員の記念写真  明治39年6月アレクサンドロフスク(遼藤写真館発行 領有30年記念絵葉書) 


 4つの国境標石のレプリカが作られている

 下の3枚の写真は、天第四号のレプリカ。

札幌大神宮 東京・絵画館前 稚内市・北方記念館





 北海道大学スラブ研究センターが実施するグローバルCOEプログラム「境界研究の拠点形成」一環として2010年(平成22)に天第一号と天第三号の国境標石レプリカが作成された。これは ポリエステル樹脂に石材、砂を混入して作られている。

 左写真は、このときに作成されたレプリカ。


郵便印


 明治40年6月15日、樺太庁開庁式記念として使用された記念の郵便印。差出人の希望がある場合は17日まで使用された。
 この郵便印は樺太郵便電信局のほか、ウラジミロフカ支局、マウカ支局、カルキノウラスコエ支局でも使用されている。図案には国境標石が描かれている。






 昭和11年8月23日、樺太始政30周年を記念して使用された記念の郵便印。
 この郵便印は樺太内の大きな郵便局で使用された。使用局は39局。図案には国境標石が描かれている。





 ある程度大きな郵便局には、その局にちなむ風景が描かれた消印が置かれていて、利用者の求めによって使用される。
 戦前、樺太の安別郵便局と気屯郵便局には国境標石をデザインした消印が置かれていた。

 左の図は『友岡正孝/著 戦前の風景スタンプ集 (1976)日本郵趣出版』から引用。



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