樺太千島交換条約により樺太がロシア領になると、樺太アイヌはロシア国籍をとるか、日本国籍をとって日本に移住するかの選択を迫られた。日本政府は、樺太に近い宗谷に移住させることを約束し、これに応じたアイヌ841名が、日本国籍を取得した。しかし、日本政府は、彼等を労働力に使うことを考え、札幌近郊の対雁へ移住させた。対雁の生活は劣悪で、コレラや天然痘で大量の死者を出した。
日露戦争に勝利した結果、南樺太が日本の領土になると、彼等の多くは、樺太に帰った。
北海道江別市対雁14番1の江別市営・やすらぎ苑の一角に、樺太アイヌを慰霊する墓が立てられている。
樺太移住旧土人先祖之墓 左側の石塔の裏面には由来が刻まれている |
アイヌの慰霊具「イナウ」 |
太平洋戦争が終了するとサハリン南部はソ連の領土に戻った。この地の先住民だったカラフトアイヌは、すでに、日本語教育を受け日本人化していたこともあって、多くの人は日本人とともに、日本に引き揚げた。このうち幾人かの者は常呂町に永住した。
アットゥシ(樹皮の繊維で織った着物) | イクニシ(儀式用の匙) |
巫女用の帯 | 護符 | 熊送り用子熊の耳飾 |
頭飾り 19世紀 | 煙草入れ 19世紀 |
内耳土器
ロシア・サハリン州ピェルヴァヤ・パーチ コルサコフ地区出土(14~16世紀)
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