樺太アイヌ


最終更新 2018.3

江別市対雁(樺太アイヌ強制移住)

 
 樺太千島交換条約により樺太がロシア領になると、樺太アイヌはロシア国籍をとるか、日本国籍をとって日本に移住するかの選択を迫られた。日本政府は、樺太に近い宗谷に移住させることを約束し、これに応じたアイヌ841名が、日本国籍を取得した。しかし、日本政府は、彼等を労働力に使うことを考え、札幌近郊の対雁へ移住させた。対雁の生活は劣悪で、コレラや天然痘で大量の死者を出した。
 日露戦争に勝利した結果、南樺太が日本の領土になると、彼等の多くは、樺太に帰った。
 
 北海道江別市対雁14番1の江別市営・やすらぎ苑の一角に、樺太アイヌを慰霊する墓が立てられている。

 

樺太移住旧土人先祖之墓
左側の石塔の裏面には由来が刻まれている
アイヌの慰霊具「イナウ」

対雁学校の扁額
 対雁に強制移住させた樺太アイヌの子供を教育するために作られた学校。





ところ埋蔵文化財センター・どきどき

 太平洋戦争が終了するとサハリン南部はソ連の領土に戻った。この地の先住民だったカラフトアイヌは、すでに、日本語教育を受け日本人化していたこともあって、多くの人は日本人とともに、日本に引き揚げた。このうち幾人かの者は常呂町に永住した。




東京国立博物館

 
アットゥシ(樹皮の繊維で織った着物) イクニシ(儀式用の匙)  

 

巫女用の帯 護符 熊送り用子熊の耳飾

 


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