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大黒屋光太夫

大黒屋光太夫は伊勢白子の船頭。1782年、江戸に向かう船が、嵐でアリューシャン列島に流され、その後、シベリアを横断しサンクトペテルブルグに赴き、エカテリーナに謁見し、9年後に根室に帰還した。


鈴鹿市に大黒屋光太夫の記念館があり、伊勢若松駅前に像、鈴鹿白子新港緑地公園にモニュメントが建てられている。



回向院(東京都墨田区両国2丁目8-10)には、帆掛け船の形をした海難供養碑が建てられている。1789年に三河平坂の施主により建てられたもので、裏面に光太夫の名前が刻まれている。周りの墓石に比べて小さいが、特徴的な形なので、容易に見つけることができる。




すぐそばに、鼠小僧次郎吉の墓がある。

最終更新 2016.5


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