日露関係ゆかりの地

大津事件の碑
  

最終更新 2017.9

 1891年(明治24年)5月11日、日本訪問中のロシア皇太子・ニコライは、警備の警察官・津田三蔵に突然切り付けられた。世にいう『大津事件』である。
 

 
 大津市京町には大津事件の碑が建てられている。
 場所は、楽器店・初音屋(大津市京町2丁目3-9)の横。



 津田巡査が皇太子ニコライを切りつけた理由について、以下の説がある。
 西南戦争で勲章をもらった津田巡査は、大津市に立つ西南戦争記念碑に対してニコライ一行が敬意を表さず、西郷隆盛を復活させると邪推し、自分の勲章がはく奪されることを恐れた結果、襲撃に及んだ。



 大津市の西南戦争記念碑は、三井寺奥の山中に移転されている。
 三井寺に入って(拝観料必要)観音堂に行くと、そばの小高いところに「そろばんの碑」をはじめとしたいくつかの碑が建てられた広場がある。そこから、山道に入ってしばらく登ると、西南戦争記念碑がある。しかし、山道はところどころ荒れており、碑の場所もわかりにくい。


 大津事件の被告・津田三蔵の裁判で、政府は皇室に対する罪を適用して死刑にすることを望んだが、大審院長・児島惟謙は法律を文言通り適用して無期懲役とした。

 左の写真は、愛媛県宇和島城の上立門前に立つ児島惟謙像。 




 津田三蔵は判決の後、釧路集治監に収監されたが、まもなく病死した。墓は三重県伊賀市上野寺町・大超寺。


 津田に切り付けられたニコライ皇太子は1894年に即位しニコライ2世となる。1918年7月17日、ロシア革命により処刑された。現在、遺体はサンクトぺテルブルグのペトロパヴロフスキー大聖堂に安置されている。

ニコライ2世を図案とするロシア普通切手。1913年発行。 1ルーブル銀貨。


 サンクトぺテルブルグのペトロパヴロフスキー大聖堂には、ニコライ2世の柩が安置されている。







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