アイヌが北方領土の先住民


 アイヌのガラス玉
 ガラス玉はアイヌ女性のネックレス(タマサイ)に使用された。樺太経由で伝来したもの、日本経由で伝来したものがある。大正時代に日本でアイヌブームが起こると、観光土産用に作られるなど、近年に作られた参考品も多い。
 


北海道ウタリ協会(アイヌの団体)

 アイヌは北方領土の先住民です。アイヌの団体である北海道ウタリ協会は、アイヌが千島・北海道の先住民であることを、日本政府は明確にすべきであるとしています。北海道ウタリ協会の決議を記載します。

「北方領土」問題に関する基本方針 (1983年総会において決議)       

 北海道ウタリ協会は、昭和57年度総会において、千島列島における先住民族としてのアイヌの権利を留保する旨決議したが、本日の総会において同問題に関する次の基本方針を確認する。

1.政府及び道は、徳川幕府による開発以前の全千島における先住者であるアイヌ民族の地位を再確認すること。

2.政府及び道は、「北方領土」に関連し、北海道についても先住者がアイヌであったという厳然たる歴史的事実を明確にすべきこと。

 北海道ウタリ協会は、アイヌが千島列島の先住者たることを、ここに資料を持って立証する。


日本政府の説明

 日本政府は、北方領土問題に於いて、アイヌの存在を無視する傾向が強い。たとえば、日本政府外務省発行「われらの北方領土」では、アイヌの言及は無い。また、アイヌの代表が北方領土交渉にはいることを容認していない。

(日本政府外務省発行 われらの北方領土 2005年版から)

 択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島からなる北方四島は、我が国民が父祖伝来の地として受け継いできたもので、いまだかつて一度も外国の領土となったことがない我が国固有の領土です。

 我が国はロシアより早く、北方四島、樺太及び千島列島の存在を知り、既に一六四四年には、「クナシリ(国後)」島、「エトホロ(択捉)」島等の地名を明記した地図(正保御国絵図)が編纂され、幾多の日本人がこの地域に渡航していました。我が国の松前藩は、十七世紀初頭より北方四島を自藩領と認識し、徐々に統治を確立していきました。


 政治家も、アイヌの存在を無視した発言をしている。


中曽根康弘首相「日本は単一民族だから高い教育水準を保つことが出来る(1986年10月)」

伊吹文明文部科学相「日本は大和民族が歴史的に統治してきた(2007年2月25日)」

麻生太郎総務大臣「(日本は)一国家、一文明、一言語、 一文化、一民族。ほかの国を探してもない(2005年10月15日)」

平沼赳夫経済産業相「小さな国土に、一億2600万人のレベルの高い単一民族できちんとしまっている国。日本が世界に冠たるもの(2001年7月2日)」

鈴木宗男衆議院議員「北海道にはアイヌ民族というのがおりまして、・・・、今はまったく同化されている(2001年7月2日)」

(肩書きは発言当時のもの)



ロシアの博物館展示

 現在、ロシアでは、北方四島の先住民について、博物館等で展示している。ロシアは多民族国家なので、先住民族の評価が日本と全く異なります。

択捉島 クリリスクの博物館展示 択捉島 クリリスクの博物館展示 国後島 ユジノクリリスクの博物館展示

注)写真をクリックすると拡大します。






サンクトペテルブルグのロシア民族博物館は、22コレクション2600点のアイヌ資料を収蔵している。この多くは、V.N.ヴァシーリエフが1912年に北海道や樺太で収集したもので、多くは収集地が判明している。
 平成17年これらの収蔵品の一部が札幌(4月22日〜6月19日)、川崎(7月2日〜8月28日)で展示された。左図は、このときの図録です。(クリックすると拡大します。)

 ロシアでは、北海道・樺太・千島の先住民は、日本民族とは異なるアイヌ民族であることが知られています。



詳しい北方領土問題の先頭ページへ   北方領土問題の概要のページへ やさしい北方領土問題のページへ  北方領土問題の先頭ページへ