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高田屋嘉兵衛
高田屋嘉兵衛は淡路島出身の船頭。函館を拠点とし函館発展の礎を作った。近藤重蔵の依頼で、択捉航路を開拓して、択捉島のアイヌに漁業を教え、漁場を開発した。ゴローニン事件でロシアに拿捕されカムチャツカに連行されると、ディアナ号副艦長リコルドと信頼関係を築き、事件の解決に尽力した。
ゴローニン事件と裏切湾
1811年、千島列島を測量していたロシア船ディアナ号艦長ゴローニンを、幕府は偽計により逮捕し、監禁した。 翌年、ディアナ号副艦長のリコルドは
日本人漂流民を使者として再び来日し、ゴローニンの解放を求めるが、日本側はゴローニンらを処刑したと偽り拒絶した。しかし、リコルドはこれを信用せず
に、事実を日本人に質すため、日本船一艘を襲ったが、適当な者を捕らえ得ず、さらに機会をうかがっていたところ、たまたま、高田屋嘉兵衛の船が通りかかっ
たので、国後島沖で拿捕しペトロパブロフスク・カムチャツキーへ連行した。1813年、帰国した嘉兵衛は、ロシア側に侵略の意図が無いことを納得させ、人質解放に尽力した。
1994年にロシアで発行されゴローニンの航海を記念する切手
クナシリ島沖で、ゴローニンを偽計により逮捕したこと、リコルドに嘘をついて交渉を拒絶したことなどから、ロシアでは、クナシリ島南側の湾を「裏切湾(ZALIV IZMENY)」と呼ぶ。
函館
高田屋の屋敷跡 | 函館市称名寺の高田屋嘉兵衛の顕彰碑 | 称名寺の高田家墓所 |
高田屋嘉兵衛像 | 北方歴史資料館 | 高田屋嘉兵衛資料館 |
高田屋嘉兵衛は、ゴローニン事件解決に尽力したことなどの功績で、名字帯刀を許されるようになった。
函館市の嘉兵衛像は帯刀しているので、晩年の嘉兵衛をイメージしたものだろうが、それにしては、残されている肖像画と風貌が違う。
北方歴史資料館
高田屋嘉兵衛関連の展示館で高田家に伝わる古文書などが展示されていた。
高田屋嘉兵衛の7代目子孫、高田嘉七が創立したが、2012年11月に嘉七が急逝したあと休館となった。その後、一時、再開されたが、2013年秋に閉館となった。
高田屋嘉兵衛資料館
見学したとき、最近作った高田屋の半纏などがあった。古文書等は北方歴史資料館にあり、ここの展示は興味が持てなかった。
根室
淡路島
高田屋嘉兵衛屋敷跡に「高田屋嘉兵衛翁記念館」がつくられ、その近くの公園「ウイルネスパーク五色」には「高田屋顕彰館・歴史文化資料館」が作られている。高田屋嘉兵衛埋葬場所はウイルネスパーク五色の中にある。
リコルドと嘉兵衛の碑 (ウイルネスパーク五色) |
リコルドと嘉兵衛の会談:ブロンズ像 (高田屋顕彰館・歴史文化資料館) |
高田屋顕彰館・歴史文化資料館 (ウイルネスパーク五色) |
高田屋嘉兵衛墓所に立つ碑 (ウイルネスパーク五色) |
高田屋嘉兵衛墓所:ここに葬られている (ウイルネスパーク五色) |
高田屋嘉兵衛墓所(お参りのための墓) 多聞寺 |
高田屋顕彰館の 嘉兵衛像 |
高田屋嘉兵衛翁記念館の 嘉兵衛石像 |
高田屋嘉兵衛翁記念館 | 高田屋嘉兵衛顕彰碑 |
最終更新 2022.7.21
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