日露関係ゆかりの地
北海道 稚内
北の玄関口
稚内の先はサハリンなので、自衛隊稚内分屯地が置かれている。
左写真は自衛隊のレーダー。
現在、稚内−コルサコフ間にフェリーが就航している。左写真はフェリーのポスター。
戦前も稚連絡船が就航していた。中央写真は、防波堤のところに建つ記念碑。右写真は、防波堤。
稚内市北方記念館・開基百年記念塔
稚内市北方記念館・開基百年記念塔 | 間宮林蔵の像 1Fの展示 |
樺太国境標石のレプリカ 2Fの展示 |
稚内市北方記念館・開基百年記念塔1Fには、オホーツク文化の発掘品などが展示されている。左写真はオンコロマナイ遺跡の発掘品。中央写真はオホーツク文化の土器。右写真は、サハリンから渡来したと思われるガラス玉。
稚内公園
稚内公園には幾つかの碑が立てられている。
氷雪の門 樺太開拓記念碑らしい |
樺太師範学校の碑 | 犬の碑 |
真岡郵便電信局事件
戦争末期、樺太・真岡にソ連が上陸したとき、真岡郵便電信局の女性電信課職員12人のうち9人が自殺し、3人は郵便課の職員とともに生き残った。郵便課の職員に自殺者はいない。不必要な自殺だったが、戦後、美談のように語られた。死ななかった3人のうちの一人は見習いで、一人は早くに病死したそうだ。戦後東京に移り住んだ残る一人には「なぜ死ななかった」などの心無い非難もあったそうだ。
この事件のとき、上田局長は旅館に滞在したままで、適切な指示がなされず、若い女性職員だけが孤立したことが、集団自殺の原因だった。戦後、この事件は、全員がいっせいに青酸カリ自殺をしたなどとされ、戦争美談として語られることが多かった。このようなストーリーを仕立て上げることには、札幌かどこかの旅館の女将の力が大きかったそうだが、彼女の苗字は上田なので、真岡郵便電信局長となんらかの関係が有ったのだろうか。
作家・川嶋康男はこの事件を丹念に調査して、事件の経緯を明らかにした。なお、無事生還して戦後東京に移り住んだ女性の姓は川嶋だが、偶然の一致だろうか。
稚内公園に建つ記念碑 | 自殺した9人の名前 無事生還した人の中には、戦後「なぜ死ななかった」などの 心無い非難もあったそうだ |
稚内市北方記念館・開基百年記念塔のパネル 映画のパネルのようだ |
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