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山県有朋の墓


 山縣有朋は日本陸軍の基礎を築き、第3代、第9代の内閣総理大臣を務めた。日清戦争では第一軍司令官をめ、日露戦争では参謀総長を務めた。山縣有朋は明治時代の日本政治の中枢を担ったので、業績は極めて多い。

閔妃殺害事件と露館播遷
 日清戦争で勝利した日本は、軍事力を背景に、朝鮮への内政介入を強めてゆく。これに対抗して、朝鮮はロシアの影響力を利用して日本を排除しようとした。日本公使三浦梧楼らは、親ロシア派の中心と目した王后(閔妃)殺害を計画し、日本軍守備隊・日本警察官らを動員し、王后を殺害した。王后殺害後、親露派閣僚を解任させ、内閣を親日派でかためた。しかし、日本に王后を惨殺された朝鮮各地では反日運動が起こった。また、王后殺害は外国人にも目撃され、日本は国際的な非難を浴びた。王后を殺害された国王(高宗)は、自身や王子の生命の危機を感じ、王子を連れてロシア公館に逃れた。この結果、王后殺害で成立させた親日政権は崩壊して、親ロ政権が誕生し、日本の朝鮮支配は頓挫した。

小村・ウェーバー協定と山縣・ロバノフ協定
 1896年5月14日、朝鮮政治の正常化を目的として、駐朝鮮国日本公使・小村寿太郎はロシア公使・ウェーバーと朝鮮国王の還宮実現の条件として,日本壮士の取り締まりや、日露両国の駐留軍の人員制限、電信線の保護などを約束した。さらに、6月9日には、山縣有朋とロシア外務大臣アレクセイ・ロバノフの間で、同様の協定が締結された。この協定は、2年後に西・ローゼン協定に代えられた。
 

墓所:東京都文京区大塚五丁目 真言宗豊山派 大本山 護国寺

護国寺

護国寺は真言宗の大本山です。写真は本堂。 昭和に建てられた多宝塔



山縣有朋の墓

 墓所は護国寺本堂の左側と奥に広がる。
 山縣有朋の墓は、本堂の裏手奥を進んだところにある、鳥居のある大きな墓。山縣有朋の墓の左隣には大倉財閥創始者の大倉喜八郎の墓がある。こちらも、鳥居を備えた大きな墓。本堂の裏手奥で鳥居・囲いを備えた大きな墓はこの2つだけなので、場所は容易に分かる。

山縣有朋の墓には、鳥居・囲い・門がある 左が山縣有朋の墓、右は夫人の墓
元帥公爵山縣有朋墓
戒名は「報国院釈高照含雪大居士」


山縣家の墓



 本堂に向かって右側すぐのところには山縣家の墓所がある。こちらも、門と囲いを備えた大きな墓。



その他の人の墓

三条実美の墓
護国寺内で一番大きい
場所は本堂右側奥
大隈重信の墓
場所は、本堂右側少し奥
新興宗教・天真道教祖の墓

最終更新 2019.2


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