尖閣諸島の所有者

 尖閣諸島は、1896年に古賀辰四郎が、明治政府より30年間の無料貸与を受けたが、1918年に死去すると、息子の古賀善次が事業を引き継いだ。政府からの貸与は、その後、有料になっていたが、1932年に国有地払い下げを申請し、認められた。
 1972年に南小島と北小島が、埼玉県大宮市の不動産業・栗原国起に譲渡された。魚釣島は、1978年に善次の死後、妻の古賀花子が相続したが、その後、栗原国起に譲渡された。通常の土地取引とも言われるが、古賀善次・花子夫妻の墓は、大宮市・普門院にある栗原家の墓の中に作られているので、古賀夫妻と栗原家には、特別な関係があったのだろう。
 古賀家の墓は福岡県八女市にあり、古賀善次には嫡出でない子があり、古賀花子にも相続人が有ったのだから、古賀夫妻と栗原家の関係は、よほどのものだったのだろう。
 栗原国起は、かつて、フィクサーの菅原通済の運転手をしていた関係で、石原慎太郎と親しかったようだ。
 南小島・北小島は一時、栗原弘行(国起の弟)の所有になったことがある。また、久場島(黄尾嶼)は栗原和子(国起の妹で養女)の所有。

 2012年9月、日本政府は、魚釣島・南小島・北小島の3島を20億5千万円で購入した。


 1932年に古賀が政府から払い下げを受けた時の購入金額は、笹川平和財団の島嶼資料センターによると、31円50銭(出典:八重山郡石垣町大字登野城処分調査書)とのことだ。今の金額にすると700万円ぐらいだろう。
 週刊ポスト(2012/5/25)によると、1972年に古賀氏から栗原氏へ売り渡されたときはの価格は約4600万円だった。今の金額に直すと1億円ぐらいだろう。1億円で買ったものを20億円で国に売ったのだから、栗原氏はずいぶん儲けたものだ。
 


 埼玉県大宮市大成の普門院には、尖閣の前所有者・栗原家の墓所がある。
 普門院は安土桃山時代から江戸時代初期の戦国武将・小栗忠政が大成領主となった際に復興させ、自らの墓所を築いた寺で、小栗忠政一族の墓所は市の文化財に指定されている。
  
 小栗忠政一族の墓所は、堂々としているが、それよりもいっそう広く、一段高く作られているのが栗原家の墓所。場所は、寺から入ってすぐのところにある水屋の裏にあたるので、この寺で一番立派な墓所であると覚えておけば、容易に探すことが出来る。


 栗原家の墓所の一角(左手前隅)に、古賀善次の墓がある。善次の父・辰四郎の墓は、ここにはない。古賀善次と栗原家にはどのような関係が有ったのだろうか。





 墓石側面には俗名と死亡日の記載。

最終更新 2018.3


  尖閣問題のページへ   北方領土問題のページへ   竹島問題のページへ