尖閣問題理解のため、重要な参考書
日中領土問題の起源―公文書が語る不都合な真実
村田忠禧/著 (2013/06) 花伝社
尖閣列島の領土問題を理解するためには、歴史的経緯を理解する必要がある。中世、中国・琉球が尖閣と関係があったが、日本は全く関係を有していなかった。このため、尖閣の領有権を歴史的立場から理解するためには、中世における中・琉・日の関係を理解することが欠かせない。
本書は、この点を重視し、本の1/3程度で、中世、琉球と明・清の関係、琉球と日本(島津藩)の関係を詳述し、琉球の置かれた政治上の位置を明確にしている。さらに、明治期に日本が尖閣を領有した経緯を明らかにし、「窃取という言葉はこういう場合に使うのが適切である(P201)」と評している。
ところで、日本政府は、尖閣領有の根拠として、次の説明をしている。
尖閣諸島は,1885年から日本政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行い,単に尖閣諸島が無人島であるだけでなく,清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認」(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/qa_1010.html)
本書、P220では、これは事実でないと説明している。本書の指摘が正しいのならば、日本国は、国民や海外に対して、嘘をついて、尖閣を領有していることになり、この指摘は極めて重要だ。
日本政府は「清国の支配が及んでいる痕跡がない」としているが、これはどういう意味で、どのようにして確認したと主張しているのだろう。
竹島問題に関して、日本政府は、次のように説明している。
「我が国は、江戸時代初めの17世紀初頭、鳥取藩伯耆国米子の町人大谷甚吉、村川市兵衛が、同藩主を通じて幕府から鬱陵島(当時の「竹島」)への渡海免許を受けて以降、両家は交替で毎年1回鬱陵島へ渡航し、あわびの採取やあしかの捕獲、そして竹などの樹木の伐採等に従事しました。この際、竹島は、鬱陵島に渡る船がかり及び魚採地として利用されており、我が国は、遅くとも江戸時代初期にあたる17世紀半ばには、竹島の領有権を確立していました。(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/gaiyo.html)」
日本政府の見解では、「船がかり及び魚採地として利用され」ていることを持って、領有権を確立していたと考えるのだろう。
「清国の支配が及んでいる痕跡がない」と書いている以上、「船がかり及び魚採地として利用され」ているような状況にも、まったくないことを、再三にわたって慎重に確認したということなのだろうが、事実だろうか、嘘だろうか。