久米村 歴史と人物 池宮正治/著 ひるぎ社(1993)




 14世紀末、琉球は中国(明)と冊封関係を結ぶ。つまり、中国が宗主国、琉球が服属国となり、中国中心の国際秩序に組み込まれた。冊封関係を結ぶと、琉球は、航海に使用する船舶を下賜され、また、同時に、航海技術者や通訳なども下賜された。彼等は、福建省出身者だったため、閩人三十六姓と呼ばれた。また、彼らは久米村を築いたため久米三十六姓とも呼ばれた。実際に、36の姓があったわけではなくて、36が縁起の良い数だったため、このように言われたのだろう。閩人が琉球に居住したは、冊封の時が最初ではなくて、それ以前にも、貿易などの目的で、琉球に居住していた中国人がいたことが知られているので、このような人を合わせて、久米三十六姓が始まっている。久米三十六姓の人たちは、明治になるまで、琉球王国において中国人とみなされていた。

 本書は、前半で、久米三十六姓の歴史を解説する。後半では、久米三十六姓の主な人を取り上げて、人物の解説をする。

 尖閣の領有権問題に関連して、中国・琉球交流の歴史を知ることは重要である。尖閣は、もともと中国・琉球の航路の標識として使われ、中国によって命名され、中国の文書に記載された島である。歴史学者で京都大学教授だった井上清はこの事実を指摘したが、中国から琉球に来た船よりも、琉球から中国にわたった船のほうが多かったため、あたかも琉球のほうが尖閣をよく知っていたかのような誤った風説が、日本国内で流布している。
 中国・琉球間の航海に携わり、尖閣の知識を得ていたのは、中国福建省の、いわゆる閩人、および、久米村の閩人三十六姓だった。

   明治以前の尖閣を考える上で、久米村の歴史を知ることは重要だ。本書は、この目的のために、好適な教科書だが、入手が難しいことが残念だ。


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