アジアの中の琉球王国 高良倉吉/著 吉川弘文館 (1998/09)
14世紀末に、琉球は中国と冊封関係を結び、形式的な属国になった。琉球は中国に朝貢することになるが、そのための船は、中国から支給され、船員も中国人が担った。このときの中国人は、那覇市久米に住み着いたため、久米36姓という。
中国から支給された船や、中国人船員により、東南アジアとの貿易も活発に行われることになった。琉球では、東南アジアと貿易して得た商品を、中国に送
る、あるいはその逆の、中継貿易により栄えることになる。東南アジア貿易では、現地華人社会と、那覇市久米の華人との人的な繋がりが利用された。
本書はこの時代の琉球と東南アジア貿易の実態について、かなり詳しく書かれている。
冊封以前にも、琉球人は、サバニと呼ばれる小船で、数千キロの航海をして、東南アジア貿易をしていたなどと、非常識な説明をする人もいるが、本書では、このような主張を否定している。
沖縄各地で、むかしはこの海岸から貿易船が中国に渡り、富を満載して帰ってきた、この浜はかつて中国貿易の基地として繁栄した時代があった、などという 信じるに足りない「作り話」がささやかれている。市町村のなかにはその「歴史」を地域活性化のテーマに結び付けるところもある。冬場の強い北風や夏場の台 風から船を守る条件をそれらの海岸、浜は備えているのか、といった冷徹な視点に立つと、その話の欺瞞性は明らかである。港の問題は後で那覇港を例にとって 考えるので、ここではその程度の指摘にとどめておきたい。
船の問題にこだわったのは、東アジアから東南アジアにおよんだ琉球の海外貿易活動において、優秀な船舶を持つことは事業の成否を左右する決定的な条件だったことを確認したかったからである。
貿易船の建造、修理、操縦もまた、中国、とくに福建省の技術、技能に大きく依存したものだった。(P90,91)
冒険航海で一度はチャレンジする意味はあるかもしれないが、安全かつ安定した事業をめざす経営者がもしこの船(サバニ)を利用した場合、それは自殺行為でしかない。
冷静に考察すればすぐにわかる話なのだが、どうしたわけか沖縄の歴史書には英雄美談のかたちで右の物語が書かれることが多い。知識人のなかにも筏船で東南アジア貿易を行った話を真実だと思い込んでいる人たちもいる。(P92)