『われわれ日本人が尖閣を守る』 加藤英明/監修 高木書房(2014.1)
特に読むことを、勧めない。
本のページ数は100ページ弱で、写真も多いため文章が少なく、詳しい説明は期待できない。
本は3部構成。第1部・第3部は、合わせて20人程度の人が、それぞれ2ページ程度執筆しているが、ページ数が少ないのに写真や箇条書きがあって、内容
が乏しい。読書が苦手な人が、マンガ本を読むつもりで、ざっと理解した気になるためには便利な本かもしれない。ただし、内容は、尖閣問題を冷静に解説する
ものではなく、「日本の領土を中国が奪いに来てるぞ」「日本政府が弱腰だからこんなことになるのだぞ」と一方的に言っているような内容で、読んでも、実り
は少ないかもしれない。
第2部は尖閣灯台の話で、一人の執筆。
尖閣には、広域暴力団・住吉会系の右翼団体が、日中平和条約締結の時(1978年8月)、尖閣諸島魚釣島に灯台を建設した。
30ページ程度に渡り、尖閣灯台建設・保守・国家への移転の経緯が書かれている。写真が多いので見やすいけれど、その代わり、ページ数の割には情報量が少ない。
尖閣灯台は、最初、魚釣島に建てられ、その後、北小島にも建てられたが、北小島灯台は比較的早い時期に失われた。北小島の灯台再建は、海保の命令で禁止された。この点に対して、次のように書かれている。
北小島に灯台を再建したいとして、日本青年社は、灯台の機材を石垣島に送るとともに、平成九年十一月二日隊員五名を石垣島に派遣した。ところが、翌三
日、海上保安本部の巡視船が機材を運ぶ船の左右に横付けしてきて「荷物の積み込みを禁止する。この船は法に従って拘束する」と通告してきたのである。その
理由を問い質すと「日本政府全体の考えで船を拘束する」「北小島に灯台を建てることは他人の不動産侵害の疑いもある」ということであった。
・・・
地権者には当初から了解を求め同意を得ていたが、内閣情報調査室から「日本青年社との話し合いに応じないで欲しい」と言われていたことが後でわかった。(P56)
「地権者」とは、当時、尖閣を所有していた埼玉県の地主、栗原氏のことに違いない。「同意を得ていた」とあるので、栗原氏は、暴力団系右翼団体が灯台を建設することに同意していたということだろう。栗原氏は広域暴力団と、どのような関係があるのだろう。
また、次の記述もあるが、栗原氏は、灯台の他にも、墓や神社を建てることも、許可したのだろうか。広域暴力団と、栗原家には、深い関係があるのだろうか。
尖閣諸島に灯台を建て、保守点検をする中で、二人の隊員が亡くなっている。そして尖閣諸島魚釣島に墓がある。隊員は上陸すると必ずお参りをする。また古
賀一族が残したであろう水子地蔵もあり、ここにも必ずお参りをする。そうした中、町や村の中心に神社があるように、尖閣にも神社をと、平成十二(二〇〇
〇)年四月二十日、尖閣諸島魚釣島に隊員五名が上陸し、灯台の保守点検と合わせて尖閣神社を建立した。(P57)
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