幕末日仏交流記




  
テオドール・オーギュスタン フォルカード/著『幕末日仏交流記 フォルカード神父の琉球日記』 中央公論社(中公文庫)(1993/04)
 
 フォルカード神父は幕末の1844(天保15)年に琉球にやってきて2年間滞在した。オランダ人を除いて、鎖国中の日本に滞在した最初の西洋人と言うことになるのだろう。本書は、フォルカード神父が琉球に滞在した時の日記。琉球を出た後、長崎から朝鮮に行ったので、その時の日記も含まれる。
 当時、琉球は独立国であると同時に、中国の属国で、薩摩藩の支配を受けていた。このような微妙な状況下での外国人の来航は、琉球にとって迷惑だったようで、フォルカード神父は琉球滞在中は常に監視下に置かれ、交渉事も琉球は嘘をついて遅遅として進まなかった。フォルカード神父が琉球に滞在した目的は、布教にそなえて現地語を習得することと、布教の準備をすることだったが、言葉の習得も不十分で、布教どころか一般人との交流もできなく悶々とした日々を送った。
 
 フォルカード神父が上陸したとき、フランスとの通商を求めたが、以下の理由で琉球は拒否した(P41,P42)。
 ・琉球は清国の属国で重要事項を独自に決定できない
 ・琉球は貧しく輸出できる産物がない
 
 第6章(P141~P164)にはフランス政府の開国交渉に通訳として立ち会った時の記録が記されている。これによると、琉球政府は以下の理由で、条約締結を拒否した。
 ・琉球は清国の属国で朝貢の必要がある
 ・琉球は貧しく、朝貢に必要な産物や、輸出できる産物がない
 ・鎖国中の日本とトカラで貿易を行い朝貢に必要なものやコメなど生活必需品を入手しているが、フランスと条約を結ぶと日本との貿易ができなくなる恐れがある
 
 このように、条約交渉では、琉球が清国の属国であることが強調され、日本の支配を受けていることがひた隠しにされた。なお、2006年東大・日本史の入試問題(問3B)は、この部分が出題されている。

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