宮古島民台湾遭難事件

 
宮国文雄/著『宮古島民台湾遭難事件』那覇出版社 (1998/05)
 
 明治4年、那覇を出港した宮古・八重山の船4隻は強風のため遭難した。このうち1隻は宮古に帰還したものの、1隻は行方不明、1隻は台湾西部に漂着、1隻は台湾南東部に漂着した。台湾西部に漂着した船は、現地の中国人に救助されたが、南東部に漂着した1隻の船の乗組員のうち多数が、現住民により殺害された。
 
 南東部に漂着した1隻の船には、69名の乗組員があったが、上陸時に3人が死亡し、54人がパイワン族により殺害され、12人は中国人により救助された。救助された12人は福建省経由で那覇に戻った。殺害は斬首で、首はパイワン族により持ち去られ、胴体は中国人によって現地に葬られた。
 
 この事件をきっかけに、日本は明治7年に台湾出兵を行う。出兵した日本軍は、殺された宮古八重山の人たちの首を持ち帰り、那覇に葬った。宮古や八重山の人が多かったはずなのに、那覇に葬られたのはなぜだろう。那覇の墓は波の上宮にある台湾遭害者之墓だが、元々の場所から若干移されているらしい。現在の場所は、小桜の塔の向かい、ペッテルハイム博士居住跡の隣。
 遭難から台湾出兵にいたる一連の事件を「牡丹社事件」という。
 
 本書第1章は遭難と54人が殺害され12人が帰還したいきさつの説明。ちょっと歴史物語風で、どこが史実でどこが想像なのか区別がつかないところがある。
 第2章は台湾出兵の説明。
 第3章から第6章は遭難者の墓と墓参の模様。胴体が埋葬された台湾南東部と、首が埋葬された那覇に墓地がある。

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