尖閣参考書

いしゐのぞむ/著 尖閣反駁マニュアル百題 自然食通信社 (2014/6)



多くの人には、読むことを勧めない。

 本書は、旧字、旧仮名使いであり、読みにくい。著者は、こういうことを推奨している人なのだろうが、領土問題は国民的課題であって、日本語に対して特殊な立場の人だけの課題ではないと思うのだが。また、「中国」のことを「チャイナ」と書いており、読みにくい。著者に、いろいろな思いがあるのは、人それぞれだろうけれど、読者には読者の考えがあるのだから、普通の日本語で書いてほしかった。いづれにしても、著者の思いが共有できる人を除いて、読むこと勧めない。
 本のタイトルは、「マニュアル」となっているので、いわゆるマニュアル本・ハウツー本のような低俗本の印象を受けるかもしれないが、内容は、必ずしもそういうことではない。
 この写真では見にくいが、本の表紙カバーはStielers Handatlasの一部。この地図は、当時、日本が領有権を主張していなかった鬱陵島が日本の領土になっている点で、日本の領土範囲に関して、正確とは言えないものなので、領土問題では、あまり触れられない地図だが、なかなか美しい地図なので、私は、このシリーズのロシア地図を、リビングに飾っている。
 本書の内容は、尖閣中国領論に対する反駁。このため、浦野起央/著『尖閣諸島・琉球・中国』や、齋藤道彦/著「尖閣問題総論」と同様な立場。浦野起央の本は学術書の雰囲気で高価だが、本書はそういう感じではない。また、齋藤道彦の本は引用が多いのに対して、本書では著者の研究成果が多い。
 本の内容は3部構成+付録。

 第1部は、尖閣中国領論に対する反駁の指南、なのだろうか。読むと、そのような印象を受けるが、そういうことが必要な人って、いったい誰だろう。
 外交交渉担当者やブレーンの学識者は、尖閣中国領論に対する反駁が必要かもしれないが、こういう人には、指南書は必要ないだろう。自分達で、方針が立てられないようでは困る。一般人で、酔っ払った時などに、知り合いの中国人と論争するときには、反駁が必要かも知れないが、どうせ、翌朝は忘れているので、そんなものに、指南書は必要ない。SNSで見知らぬ中国人と論争するときに必要だと思う人もいるかも知れないが、SNSで見知らぬ中国人と安易に論争するのは、やめた方が良い。論争のふりをして、ウイルスをばらまくなどの犯罪行為が行われる恐れがある。

 第2部は、尖閣中国論を唱える人などの著書に対する反論。齋藤道彦/著「尖閣問題総論」に比べ、簡潔。齋藤の本は重複が多くて、冗長な感じがしたが、本書は、そのようなことはない。

 第2部の最初に批判しているのは、井上清/著「尖閣列島」で、他に比べて、井上の批判には多くのページを費やしている。有名で、よく読まれている本なので、批判にも熱が入るのだろう。
 しかし、何を書いているのか、よくわからない点がある。井上清は、日本・琉球には中国を離れて尖閣を記した文献が実質的になかったとしているが、これを批判して、「寛文航海書」「三国通覧図説」をあげている。「寛文航海書」は読んだことないのだが、「三国通覧図説」は、寺沢一/監修「北方未公開古文書集成第3巻」に、活字になって収められているので、容易に読むことができる。三国通覧図説には、琉球図は「中山伝信録」を参考にしていると書かれているが、これは、徐葆光の著書のことだろう。だったら、中国を離れて尖閣を記した事にならないではないか。
 現在、中国政府は、尖閣は台湾付属で、昔から両島は中国領だったと説明している。林子平の図は、台湾を中国大陸と異なった色で着色しているので、中国政府の主張と林子平の図とでは、台湾の領有認識に違いがあるようにも思える。本書では、そのことを理由に、林子平図が、中国の文献から離れているとの主張のようであるが、なぜ、このような解釈になるのだろう。林子平は学者なのだから、独自解釈が入るのは、当たり前のことで、だからと言って、中国を離れて尖閣を記述したことにはなるまい。本書の記述は、説明不足だ。文字数を減らすために、記述の大幅削減をしているのかもしれないが、削減しすぎ。

 ところで、林子平の図では台湾と中国大陸が異なった色で着色してあるが、本書では、「林子平は尖閣を桜色に塗り、台湾を黄に塗る。付属島嶼でないことを示している。(旧字旧仮名遣いを新字新仮名遣いに直した P63)」としている。三国通覧図説本文には、台湾の記述がないので、林子平が台湾・澎湖を黄色に塗った理由は書かれていない。
 北海道では、蝦夷地と和人地とで異なる着色がされているが、蝦夷地・和人地に関しては、三国通覧図説・本文に解説がある。「熊石を以って日本風土の限りと見るは、蝦夷を外国と立しことなる故、柔和正直の見識というべきか。亦窃かに憶へば、強いて蝦夷の極北、そうや、しらぬし等を以って日本風土の限りとすべし。これ蝦夷国を以って日本の分内にしたる見識なり。(寺沢一/監修の本 P78)」 
 蝦夷国は外国とする見解と、蝦夷国を日本の分内とする見解のうち、林子平は前者をとっているが、後者を誤りであるとしているわけではない。台湾についても、おそらく同様だろう。すなわち、台湾は中国と異なる風土と考え、異なる色にしたのだろうが、付属島嶼でないとまでは、言っていないように思う。林子平は、熊石に境界を引く説を採用しているが、これは、現在の日本政府の主張と異なる(われらの北方領土2013年版参照)。

本書では、高橋庄五郎/著「尖閣列島ノート」を批判している。高橋の本には、以下の記述がある(P194)。

中国(明)の太祖が琉球中山王察度に詔諭をあたえたのは、一三七二年であり、太祖の冊封使が琉球に来たのは、一四〇二年である。以来、琉中間には国境問題も領土紛争も全くなかった。琉球国は三六島であり、琉球国と中国とのあいだに第三国があるはずはなかったし、無主の地というものがあるなどという理屈は、思いもおよばなかったことである。

 明治初期の琉球処分で、日本が琉球の内国化を図ると、清国はこれに抗議して、琉球に対する清国の領有権を主張した。李鴻章は1897/12の竹添進一郎との会談で、琉球は中国に属す、昔よりすでに然り、天下皆知る、と主張している。日本も、清国の権利を一部認める形で、先島を清国領とする提案をしたが、妥結に至らなかった。

 本書は、漢文学者による高橋本の批判なので、明・清時代には、すでに「無主の地」概念があって、これこれ、このように書かれているとの具体的指摘があるのだろうと期待して読んだけれど、そのような指摘は無かった。

 本書 第2部では、孫崎亮の本も批判しているが、記述は少ない。

 第3部が本書の中心。100項目に渡り、尖閣中国領論を批判している。100項目あるのに、この部分のページ数は179ページと少ないので、1項目当たり1〜2ページしかなく、内容も、「中国の主張」「資料の原文」「書き下し文」「訳文」などを掲げたのちに、反論の解説を書いているため、反論の解説が少ない。さらに、項目が100に細分されているため、話の関連性が分かりにくい。

 最初に、言葉遣いや、解説の少なさのために、分かりにくい例をあげる。
 P180に「琉球三十六姓」と書かれた記述がある。「琉球三十六姓」とは、一般にはどういう使われ方をしている単語だろうかと思って、琉球新報社の沖縄コンパクト辞典を引いてみたけれど、記載がなかった。文章の前後関係から推察するに、「久米三十六姓」のことだと思い、「一般社団法人 久米崇聖会」のページの「久米三十六姓の歴史」をみると、「久米三十六姓」「ビン人三十六姓(ビンは門構えに虫)」「くにんだんちゅ」と書かれているが、「琉球三十六姓」の言葉はない。ネットで調べると、単に「三十六姓」や、「沖縄の久米三十六姓」のような書き方もあるが、「琉球三十六姓」は見つからなかった。普通に使われている日本語で書いてほしいものだ。
 また、P183には「福建の三十六姓」とあるが、これは、「ビン人三十六姓(ビンは門構えに虫)」のことだろうか。「琉球三十六姓」と「福建の三十六姓」は同じなのか、違うのか。
 また、六十六番のタイトルは「沖縄人のお陰で福建人が航路を知った」であるが、他の多くの個所では「琉球人」となっている。沖縄人と琉球人は同じなのだろうか、違うのだろうか。文章を読むと、同じ意味で使っているように感じるが、よく分からない。同じならば、同じ単語を使ってくれればいいのに。ちょっと違うのならば、説明を書いてほしい。
 日中間で尖閣領有問題が起こると、国際法学者・奥原敏雄は雑誌沖縄63号に論文を寄稿して、尖閣の歴史的経緯を説明し、尖閣日本領論を主張した。この中で、戦前に書かれた藤田豊八の論文を引用し、『元延裕四年、すでに琉球船(宮古船)二隻、乗員六十余人がシンガポール付近で交易をおこなっていた』としている。本書で、「沖縄人」とあるので、「宮古船か否か」との議論があるのかと期待して読んでみたが、そういう話題は無かった。

 「三十六姓は福建から帰化したが、福建人が尖閣航路を知らないのだから、三十六姓も元々は沖縄人から尖閣航路を教えられたと推測できる。(旧字旧仮名遣いを新字新仮名遣いに直した P180)」とあるが、この記述は、説明不足。たしかに、陳侃使琉球録には、ビン人は琉球への航路を知らないと記されているが、陳侃が福建在住の船員全員を調査したのではないので、単に、陳侃の示した給料が悪かったため、船員が集まらなかったのかもしれないし、本当に、琉球航路を知っている人がいなかったとしても、琉球航路を知っている福建人全員が、琉球など海外に渡ってしまった結果なのかも知れない。
 陳侃以前の冊封使は琉球からの迎はなかったはずで、それでも、琉球に航海しているのだから、もともと泉州・福州の人は、琉球への航路を、知っていたのだろう。また、陳侃を迎えに来た蔡廷美は、そののち、中国人同士(潮陽とビン州の人)の琉球での殺人事件に遭遇するので、少なくとも、この時代、潮陽などから琉球への航路を知っていた中国人もいたのだろう。

 なお、阮国来琉の時代(今から400年前)になると、久米村が衰退して、琉球から中国へ行く朝貢使の航海も、不案内になる。クニンダンチュ(久米三十六姓の人たち)が福建に帰ってしまったのだろうか。

 ところで、「久米三十六姓」は、琉球人だろうか、中国人だろうか。どちらでも良いような気もするが、大学入試センター試験日本史を受験する予定の受験生諸君は、「久米三十六姓は中国人」の側面を覚えておいた方が良いだろう。2013年大学入試センター試験第1問・問4では、地図に「九面里 江南人の家ここにあり」との記述の理解を見る問題が出題されている。

 なお、井上清を批判した箇所のP58には、「ほとんど全て琉球国の公務員が水先案内をした」と書かれているが、なぜ、このような分かりにくい書き方をするのだろう。現在でも、外国人専門家を公務員として雇用することはあるので、日本国公務員の知識だからと言って、日本人の知識とはならないではないか。おそらく、著者は久米三十六姓の事を言っているのだろうが、それなら、そう書けばいいのに。

 つぎに、項目が100に細分されているため、話の関連性が分かりにくい例をあげる。
 郭汝霖の記述に「赤嶼が琉球を界する地方山である」との記述があるので、赤嶼が中国と琉球の境界であるとの説がある。P187では、この説を批判しているが、その論拠として、P188,P189を示している。ところが、このページを見ると「文化的意義の分け方」とある。「赤嶼が琉球を界する地方山である」との記述が、文化的なものを言っているのならば、矛盾があって当たり前だし、法的なものであるならば、「文化的意義の分け方」であるP188,P189は、根拠にならないだろう。
 両者は、どのように関連しているのか。項目が細分され、相互関連の説明が不十分だ。

 本書の目的についても、いまひとつよくわからない。
 林子平の三国通覧図説では、尖閣は、中国大陸と同じ赤色で着色されているので、尖閣は中国領であったとの主張がある。これに対して、P246の「駁4」では、「林子平は所拠の中山伝信録を誤解している(旧字旧仮名遣いを新字新仮名遣いに直した)」としているのに対して、次のページの「駁8」では、4色問題の色塗りの都合で、色がなかったとの説である。明らかに違うことが書かれているが、著者の説はどれなのだろう。それとも、この本に書かれていることは、真実を明らかにするのが目的ではなくて、単に、大声で、相手を罵倒するときの口上集なのだろうか。

 ちょっと追記。「駁8」は算数が苦手な人の誤解でしょう。林子平の算術能力が低ければ、こういうミスもあるだろうけれど、当時の地理学者は、多かれ少なかれ、算術の才もあるのだから、4色問題で、こんな低レベルの誤りを犯すとは考えられない。尖閣を違う色で塗りたいのならば、琉球を黄色、台湾をサハリンと同じ緑色、尖閣を残りの橙色にすればよいのです。4色問題は、証明できているので、色が足りなくなることはない。

 P180に、久米三十六姓の説明として「子孫は福建からも夷と呼ばれ・・・」と書かれている。陳侃使琉球録にも、蔡廷美のことが「夷」と書かれているという意味だろうか。もし、そういう意味だとしたら、非常に興味深いことだ。浦野の本は参考文献の記述が詳しいが、本書は、そのようなことがないので、分かりにくい本になっている。


 最初に、多くの人には、読むことを、勧めない、と書いた。以下の4つの理由である。
 @旧字旧仮名遣いで読みにくい。
 A著者独自の言葉使いが読みにくい、あるいは、理解しにくい。
 B項目が細分され関連がつかみにくく、理解しにくい。
 Cいろいろなことを詰め込みすぎで、解説か少ない。

 内容については、学者の学説なのだから、独自視点があるのは当たり前で、著者の説に賛成・反対はあるだろう。


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