尖閣列島問題参考書


緑間栄/著『尖閣列島』 1984年 ひるぎ社


 尖閣は日本領であるとする解説。尖閣が日本の領土であるとする解説本はいくつもあるが、その中で、価格も手ごろの割には良く書かれている。しかし、すでに絶版であることが残念だ。尖閣に関心が高まっている中、再販してほしい。  注)2018年5月電子図書で復刻された

 本書の前半は、尖閣中国領有論を紹介し、それに対する反論を展開する。後半は、日本の主張の説明と、領土問題の国際法の簡単な説明。

 尖閣は沖縄と台湾の間にある島で、古くから、釣魚台などとして、明・清・琉球に知られていた。この時代、琉球は日本の領土ではなく、清国に服属し、同時に薩摩藩の支配下にあった。当時、尖閣が日本の領土ではなかったことは明らかなので、歴史的な日本領土ではない。
 もし、尖閣が日本の領土であるとするならば、無主地であったか、日本が割譲を受けたかのどちらかであるが、日本領論では「無主地であった」と主張される。本書でも尖閣は無主地であったと主張されている。

 無主地論の基本は、近代以前の中国の領土概念は、19世紀以降の国際法上の実効支配に該当しないので無主地であるということに尽きる。本書において、この見解が極端に主張されている。
 P64に以下の記述がある。
「たしかに尖閣列島の島々の固有の名称は中国名で呼ばれている。しかし、これらの島々が歴代冊封史録・・・に名づけられている事実をもって、中国側が当時これらの島々を自国領と明確に認識していたのだろうか。」
 この記述は、単なる言いがかりだ。明の領土意識では「自国領と明確に認識していた」が、19世紀以降の領土意識と100%完全に一致していたのかと言われれば、異なっているに決まっているので、その意味では明確に意識していないことになる。
 明・清の冊封使の記述には、「久米島から琉球」「赤尾嶼が琉球の界」との記述がある。この記述によって分かることは、魚釣島や久場島は琉球ではないと言うことである。ところが、中国の境界と書いていないので、魚釣島や久場島は無主地であったと主張する人もいる。本書においても、「界とは法的概念としての国境なのか」などと書かれている。当時、中国の領土認識では、冊封関係のある範囲はすべて中国の領土であったので、琉球も中国の領土の範囲内であるので、「赤尾嶼が琉球の界」とあるからと言って、琉球が中国ではないという意味ではない。実際、明治初年に、日本政府が琉球処分として琉球を日本領と宣言したときに、清国は、琉球は清の領土と主張した経緯がある。明・清の冊封使の記述が、尖閣を中国の領土外と認識していたと解することは出来ない。

 本書の記述に戻ろう。
 P68に以下の記述がある。「第2次世界大戦後、中国が尖閣列島を固有の領土として意識していたならば、カイロ宣言やサンフランシスコ平和条約の締結の際に、戦勝国である中国は、領土権を主張しうる機会があったにもかかわらず、なんら主張していない。」国際政治をまったく知らない中学生の感想文ならともかく、まともな図書の記述としてはいただけない。カイロ宣言は、戦争中の宣言であり、下関条約の文言を使ったものであるので、尖閣がないのは当然だ。サンフランシスコ会議のとき、中国は2つに分裂していて、どちらも会議に呼ばれておらず、条約に中国の要求を入れる機会はなかった。

 P76〜P79ではサルベージ会社の沈船解体作業の問題が解説されている。台湾のサルベージ会社が、1968年に南小島で、また、1970年には久場島で沈船解体作業を行った。このとき、台湾行政府は出国許可証を発給している点を捉えて、自国の領土ならば出国許可証は要らないはずなので、自国の領土と認識していなかったと結論付けている。当時、尖閣が米軍行政府および琉球行政府の施政下に有ったことは明らかで、台湾の施政権は及んでいなかった。日本でも、自国の固有の領土としている国後島に、無断上陸した人に対して、最高裁判所は、国後島が出入国管理令上の外国にあたるとの判断を示しているが、このことと領有主張とは別であると解されている。

 本書では、日本の実効支配が尖閣に及んだのは、いつのこととしているのか、不明だ。
 P101には、明治28年1月14日、日本の領土として閣議決定したこと、P104には明治30年以降、古賀が尖閣開発を行ったことが記されている。P122には、「わが国は尖閣列島に対して明治28年の領土編入処置以来、戦前、戦後(米国施政権)を経て十分なる証拠の元に統治権を継続的に行使してきたと言える。」とされている。
 古賀の開発以降沖縄占領まで、日本が実効支配していたことは疑いのない事実だろう。しかし、明治28年とすると、何を持って、実効支配としているのか不明だ。閣議決定で実効支配の要件を満たしているように読める。これでは、かつての中国の領有意識を否定する理由にならないのではないか。実効支配が、明治28年4月以降とするならば、下関条約により割譲されたために、実効支配を確立したことになり、日本の領有根拠が怪しくなる。たった3ヶ月の違いであるが、この3ヶ月は両国主張にとって重い。本書では、そんなこと預かり知らんとばかりに記載しているP122の記述は、読者を馬鹿にしているように感じる。


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