表題は『尖閣列島と竹島』となっているが、内容の80%は尖閣の話。
尖閣・竹島ともに、日本の領土であることを主張する内容であるが、ページ数の関係だろうか、竹島に対する論拠は、今一つ明確ではない。
尖閣が日中どちらのものであるかの論争は、日本では、井上清の中国領論と、奥原敏雄の日本領論が有名である。本書は奥原説に従って、日本領論を唱えるものであるので、すでに、奥原の論文や、関連書籍を読んでいる者にとっては、特に目新しい内容は感じられない。本書は新書版で、一般大衆を対象とした解説書。
明代の記録に、尖閣は明の冊封使の標識島となっていたとの記述があり、地図にも、尖閣列島が掲載されている。また、尖閣は明・清と冊封関係にあった琉球に含まれていない。井上清はこれらのことをもって、明代には、尖閣は中国の領土となっていたとしている。しかし、尖閣は無人島なので、役人が税を取り立てるとか、軍隊を派遣して防衛を図るとか、そのようなことはなかった。このため、18世紀以降の国際関係における実効支配を明が確立していたわけではない。このことをもって、本書では、尖閣は無主地であったとしている。
ところが、竹島問題の解説では、P129に明治38年の日本領土編入の説明で「それまでも、歴史的に日本領土であった竹島」と記載しており、著者の領有権の認識がどうなのか不明である。
P31には、日本は尖閣に対して国際法上の占守権があるとし、さらに「国際法上の占守権」の説明に「帰属のはっきりしていない地域(無主地)については、先に支配した国に領有権がある」と記載しているが、これでは、強盗の論理になってしまう。無主地の条件は、「帰属のはっきりしていない」ではなくて、「どの国にも帰属していないことが明白」であることが必要であるにもかかわらず、尖閣も竹島も、帰属がはっきりしていないことを理由に、日本領に編入したことが、現在の領土問題の発端となっている。日本は、明治期の尖閣領有に付いて、どの国にも属さないことが明白だった為に日本に領土編入したと説明しているので、本書の解説では、日本の建前とは異なってしまう。「帰属がはっきりしていないから、強奪したんだぞ」と言いふらしたら、国際信用は台無しだ。誤記載かもしれないけれど、不用意にこのような書き方はすべきではない。
P97には、井上清説への反論が、奥原説に従って記載されている。この中で、特に、いただけないのが、林子平の三国通覧図説の問題である。
三国通覧図説の付図に、尖閣は中国と同じ赤色で着色されているため、中国領であるとの井上清説に反論して、台湾と朝鮮が同じ色で、日本と満州が同じ色なのだから、尖閣が中国領ならば、台湾は朝鮮領で満州は日本領でなければならなくなると書いている。普通に小学校を出ているならば、こんな誤りはしないだろう。地図の国別色塗りとは、「隣り合った国を異なる色でぬる」のであって、「違う国は必ず違う色でぬる」のではない事は当たり前だ。小学校で配られた地図帳でも、国が150カ国以上あるからと言って、150色以上で着色されていることはない。奥原説の引用だとしても、少しは考えてから、引用すべきだ。なお、同じことをP138の竹島問題でも書いているのには、あきれる。
本書の尖閣領有論の論拠は、奥原敏雄説なので、『緑間栄/著 尖閣列島(1984年)ひるぎ社』と同様である。しかし、緑間栄の本の方が、内容が詳しい部分が多く、尖閣領有論の論拠を知りたいのならば、緑間栄の本の方が良いだろう。
P76〜P78に沖縄返還時の米国の態度の説明がある。最近は、尖閣が日米安保の対象範囲であることが強調され、領有権問題に対する米国の態度は、あまり報道されないので、この部分を知っておくことは、尖閣問題を考える点で重要だ。
当時、福田外相が、沖縄返還に際して、尖閣が日本領であることを米国に宣言してもらうように、米国と折衝していたが、米国は、尖閣の施政権を日本に返還するのであって、主権の帰属について中立の立場を取るとの見解を表明した。現在も、米国は、尖閣の領有権問題に関して、中立の立場を取っている。