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榎本武揚の墓


 榎本武揚の業績は多い。
 1854年(安政元年)18歳の時、箱館奉行・堀利煕の従者として、蝦夷地・樺太巡視に随行している。
 箱館戦争敗北により、新政府軍にとらえられるも、特赦により出獄し、のちに開拓使として任官した。
 1874年(明治7年)駐露特命全権公使に任命され、樺太千島交換条約を締結した。

墓所:東京都文京区本駒込三丁目 吉祥寺

吉祥寺は曹洞宗の大きなお寺です 榎本武揚の墓所は、かなり広い。門扉が閉まっていて中に入れない。 釈迦如来座像

 榎本武揚の墓所が分からない場合は寺務所に聞けば、親切に教えてくれる。山門をくぐって進むと左側に釈迦如来座像があるので、その少し手前を右折して数十メートル進むと榎本武揚の墓所がある。

 ところで、樺太が島であることを日本人では最初に発見した「松田伝十郎」は吉祥寺の喜蔵庵に葬られたという。現在、喜蔵庵はなくなっているが、榎本武揚墓所の私道を挟んだ奥に喜蔵庵があった。探してみたが、松田伝十郎の墓は見つからなかった。下の写真は喜蔵庵があったあたり。墓の改葬が進んでいるようだ。 




北海道江別市・榎本公園


 左写真は北海道江別市の榎本公園にある榎本武揚の騎馬像。




榎本武揚一族の墓

 榎本武揚夫妻の墓は吉祥寺にあるが、一族の墓は 東京都台東区橋場1-4-7 帰命山 保元寺(浄土宗) にある。場所は寺に入って本堂右側の塀際。隣には桑田立斎の墓がある。


最終更新 2019.11


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