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松浦武四郎
松浦武四郎は江戸時代末期から明治初期の蝦夷地探検家。「北海道」の名前は武四郎の発案とされている。
北海道における武四郎の足跡は各地にわたるため、現在、北海道各地に顕彰碑や歌碑などが建てられている。蝦夷地に関する著書では、アイヌの惨状を伝えるものが多い。
明治になり開拓判官に任命されると、場所請負制度によりアイヌが商人により弾圧されている状況を改めるため、場所請負制度の廃止を主張した。これに対して、商人たちから賄賂をもらった東久世通禧は、松浦武四郎の進言を退け、各判官の判断に委任するとしたうえ、松浦武四郎を東京詰役人として、北海道に行けないようにした。このため、松浦武四郎は開拓判官の職を辞した。
生家のある三重県松阪市小野江町には「松浦武四郎記念館」が作られている。
松浦武四郎の墓
墓所: 東京都豊島区駒込5丁目5‐1 染井霊園 1種ロ10号2側
戒名は「教光院釈遍照北海居士」 | 墓石の側面と裏面に武四郎の伝記が刻まれている |
屈斜路湖周辺には松浦武四郎関係の歌碑などがいくつかある。
下の写真は阿寒湖畔ボッケ遊歩道にある漢詩碑。
川治和香/著『がいなもん 松浦武四郎一代』2018.6 小学館
松浦武四郎の伝記小説。晩年の武四郎が町娘に、過去の自分の探検談を聞かせるという体裁で物語が進む。話をしているときの描写と、探検談の描写が混在しているので、普通の伝記に比べて話が込み入っている。
2018年9月24日〜12月9日、東京都世田谷区・静嘉堂文庫美術館で開かれた松浦武四郎展のパンフレット。
武四郎は、晩年、鈴・古銭・玉をはじめ、いろいろな骨董収集をしたので、これらが展示品の中心。
最終更新 2019.8
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