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東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)の墓

 事実上の初代北海道開拓長官
 アイヌを弾圧していた商人たちから賄賂をもらい、アイヌ酷使を黙認。


 墓所:東京都目黒区中目黒4丁目12-19 高峯山 長泉院(浄土宗) 

 東久世通禧は公家。幕末は尊王攘夷派だったため、1863年に朝廷の実権が公武合体派に移ると、三条実美・三条西季知・沢宣嘉・壬生基修・四条隆謌・錦小路頼徳とともに長州へ逃れた。これを、七卿落ちという。
 王政復古とともに復帰し、外国事務総督、横浜裁判所総督、神奈川府知事を務める。明治2年、開拓長官となり箱館に赴任し、開拓の業務を開始した。開拓判官・松浦武四郎が、場所請負制度によりアイヌが承認により弾圧されている状況を改めるため、場所請負制度の廃止を主張するも、東久世通禧は商人たちから賄賂をもらって、松浦武四郎の進言を退け、各判官の判断に委任するとしたうえ、松浦武四郎を東京詰役人として、北海道に行けないようにした。
 明治4年に侍従長になり東京に戻ると、黒田清隆が開拓使のトップとなった。
 東久世通禧はその後、貴族院副議長、枢密院副議長などを務めている。
 公家には無能なのが多かったけれど、東久世通禧は公家にもかかわらず、例外的に、仕事をした人です。

参考:松坂市公式ホームページ 松浦武四郎記念館(2019.7 閲覧)
http://www.city.matsusaka.mie.jp/site/takesiro/jisyoku.html


 長泉院は美術好きの住職が彫刻美術館を併設した。裸婦像と現代彫刻があるが、墓地に近いところの屋外展示は裸婦像が多い。彫刻で裸婦は珍しくないが、墓地と裸婦の組み合わせはシュールな感じがする。でも、さすがに墓地内に裸婦像はない。
 長泉院墓地は美術館の横を通って入る。東久世通禧の墓は本堂に面したところにある広い墓所なので容易に見つけられる。東久世通禧の墓の手前には東京都旧跡に指定されている松崎慊堂墓がある。

東久世家墓所 東久世通禧の墓 墓を乗せている亀


本堂は趣がない 美術館の横を通って墓地に入る 住職の墓は現代アート

裸婦と石塔 裸婦と塔 裸婦


参考

開拓長官ー東久世通禧
開拓判官
 東京ー松浦武四郎
 函館ー岩村通俊(明治3年小樽へ転任)
 銭箱ー島義勇
 小樽ー岩村通俊
 根室ー松本十郎
 宗谷ー竹田信順
 樺太ー岡本監輔

最終更新 2019.7


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