江戸時代の尖閣諸島関連地図


国絵図


 江戸時代に作成された、元禄国絵図・天保国絵図などには琉球国が入っている。尖閣諸島はこれらの地図に含まれておらず、尖閣が琉球外であることは明白である。
 
元禄国絵図の琉球国図
元禄国絵図は、1696年(元禄9年)に作成が命じられ、1702年までにほぼ全国の地図が完成した。
奄美 沖縄
この地図には久米島まで描かれている
八重山
 (国立公文書館デジタルアーカイブスに詳細画像が公開されている)

和漢三才図絵


 和漢三才図絵は1702年に成立した日本最初の百科事典。この中に含まれる「琉球国の図」には、琉球の西側に、台湾(小琉球)から北の久米島(古米島)に至るいくつかの島嶼が描かれている。この中の「釣魚嶼」が尖閣諸島の魚釣島である。釣魚嶼の西側に描かれた「彭家山」は、台湾北部の彭佳嶼か。
琉球国の図
台湾から久米島付近までの拡大





徐葆光/撰『中山伝信録 第一巻』

 清国により作成された地図。林子平の地図やゴービル(P.Gaubil)神父の地図はこの地図がもとになっている。
 中山伝信録は冊封副使として琉球に派遣された際に見聞した徐葆光の記録で1721年に成立した。全6巻。このうち第一巻に大陸から琉球への地図が掲載されている。この地図は南が上で北が下。中国大陸から琉球へ以下の10の島がほぼ等間隔に書かれている。位置や大きさは実際を反映していない。

 東沙 澎湖 鶏籠山(台湾)花瓶嶼 澎佳嶼 釣魚台 黄尾嶼 赤尾嶼 姑米山 馬歯山





林子平『三国通覧図説』

 日本で最初に尖閣の存在を知らしめたのは、林子平『三国通覧図説』(1785年)であり、この地図では、尖閣諸島に属する島々に中国名「釣魚台」「黄尾嶼」等と記され、中国領土と同じ赤色で彩色されている。

林子平 三国通覧図説 付図(部分)

右中央の薄黄色が沖縄。
左下の濃い黄色が台湾。
左側の赤色が大陸。
大陸と沖縄の間に航路が記載され、
途中に尖閣諸島の島々の島名がある。

尖閣諸島は、赤で着色。


(井上清/著「尖閣列島」 より)


ヨーロッパの地図


ゴービル(P.Gaubil)神父の地図


 18世紀、北京で布教活動をしていたゴービル(P.Gaubil)神父は、徐葆光『中山伝信録』をもとに、中国属国琉球地図(Carte des Isles de Lieou-Kieou)を作成して、1752年にL'AbbeSallierに送った。この地図には、台湾から久米島にかけて、一列に島々が並び、それぞれにKilong chan、Pong kia chan、Hoa pin su、Tiao yu su、Hoang ouey su、Tche ouey suの名称が書かれている。
 相当する中国名を漢字で書くと以下のようになり、中国語の音をそのままフランス語表記したもになっている。
 Kilong chan(基隆山あるいは鶏籠山)、Pong Kia chan(彭佳山)、Hoa pin su(花瓶嶼)、Tiao yu su(釣魚嶼)、Hoang ouey su(黄尾嶼)、Tche ouey su(赤尾嶼)


1787年ロンドンで出版された地図


 下図は、1787年ロンドンで出版された地図。ゴービルの地図や林子平の三国通覧図説と同様に、台湾から琉球に至る途中に、尖閣諸島などの島々が中国名で記載されている。実際の島の大きさや島の間隔ではなく、同じような間隔・大きさで記載されている。
 Composite: Asia, islands according to d'Anville.Kitchin, Thomas, 1787

 尖閣諸島などの 島名は中国名であり、漢字で書くと以下のようになる。
 Pon-kia(彭佳)、Hoa-pin-su(花瓶嶼)、Hoan-oey-su(黄尾嶼)、Tche-oey-su(赤尾嶼)。Hoa-yu-suは釣魚嶼(北京語ではdiao-yu-su)と思われる。

全体図 台湾から沖縄付近の拡大


ラ・ペルーズの地図


  1787年4月、マニラを出港したラ・ペルーズの一行は、台湾東部を北上し、5月5日、与那国島に上陸後、尖閣列島のHoapinsu、Tiaoyusuの位置を、それぞれ、北緯25度44分・東経121度14、北緯25度55分・東経121度27分と測定した。ラペルーズの経度はパリ天文台を基準としていたので、グリニッチ基準の東経とは2°20’14”の違いがある。これを補正すると、ラペルーズが測定した緯度・経度は、北緯25°44’・東経123°34’、および、北緯25°55分・東経123°47’となる。これは、魚釣島・久場島と比べると、北緯については1分以内の精度で正確。東経は両島ともに6分の違いがある。当時、離島の緯度経度は天体観測で測定した。測定には正確な時間も必要となるが、当時の技術では正確な時間を得ることは困難だった。東経6分の誤差は、時間に直すと24秒、 距離にするとおよそ10qの誤差に相当する。
 下の図はラ・ペルーズの作成した地図の一部。左下が台湾で中央右側が沖縄本島。Hoapinsu、Tiaoyusuが記載されている。(出典:小林忠雄/編訳『ラペルーズ世界周航記〈日本近海編〉』白水社
 ラ・ペルーズが測定した島は、Tiaoyusu(釣魚嶼)とHoangoueysu(黄尾嶼)だが、TiaoyusuにはHoapinsuと書かれ、HoangoueysuにはTiaoyusuと書かれている。このように、島の名前が変わってしまったのは、ゴービル神父の地図で島の位置がずれていたためだろう。
 




1879年(明治12年)のドイツ・シュテラーの地図



Carte de 1879, atlas Stieler,Gotha J. Perthes China Korea Japan

 この地図は、琉球・尖閣・台湾の緑島・鬱陵島・竹島が日本の領土のようになっている。当時、鬱陵島は朝鮮の領土であることが確定していたので、国境線の記述としては不正確。でも結構有名な地図です。
 この地図にはHoapinsu、Tiaosu、Raleigh Rock?、Recruit I.?の4島が記載されている。それぞれ、Hoapinsu(魚釣島)、Tiaosu(久場島)、Raleigh Rock(大正島)に相当する。

シュテラーの地図の部分
琉球・尖閣のほか台湾の緑島が日本の領土のようになっている。
シュテラーの地図の部分
朝鮮の領土であることが確定していた鬱陵島までもが、日本の領土になっている。


最終更新 2018.2

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