尖閣にソテツはない

 高良鉄夫を団長とする学術調査団が尖閣諸島の動植物を調査したことがある。ソテツはどこにも見られないと報告している。

 尖閣の植物分布は台湾系のものが多く大抵フィリピン区に属している。(『尖閣研究 高良学術調査団資料集 上』 尖閣諸島文献資料編纂会/著  P108)
 爬虫類では、琉球にみられるハブは全くおらず、琉球には生息していないシュウダが普通にみられる。シュウダは台湾・中国南部・ベトナムなどに分布する全長2mを超えるナミヘビ科の爬虫類(注1)

上左図:琉球政府が最初に発行した普通切手の一種。デザインは琉球を代表する植物ソテツ。ただし、尖閣にソテツはない。
上中図:琉球植林記念切手。デザインは現在沖縄県の木に指定されているリュウキュウマツ。ただし、尖閣にリュウキュウマツはない。
上右図:琉球の普通切手。デザインは現在沖縄県の花に指定されているデイゴ。ただし、尖閣にデイゴはない。


ソテツ

 植物は苔類や藻類のように維管束を持たない植物と、維管束をもつ植物に分けられる。維管束をもつ植物には、シダ植物のように種子を作らないものと、種子を作るものとがある。種子を作るもののうち、子房もたないものを『裸子植物』、子房をもつものを『被子植物』と言う。ソテツは裸子植物に含まれる。ヤシは、遠くから見ると何となくソテツに似ているが、こちらは被子植物なので、ソテツとヤシは縁の遠い植物である。
 裸子植物は『ソテツ綱』『イチョウ綱 』『マツ綱 』などの網に分けられる。『ソテツ綱』の植物は『ソテツ科』のほかに『ザミア科』などがあり、オニソテツやサゴソテツはザミア科に属する。
 九州・沖縄や中国南部に自生するソテツはソテツ科ソテツ属の『ソテツ』である(注2)。網・目・科・属・種の名前がすべてソテツなので混乱しやすい。
 琉球王府では救荒作物としてソテツ栽培を奨励・指示したので、沖縄や奄美には広く分布している。
 『ヤブソテツ』『クサソテツ』はシダ類であって、ソテツ類ではない。『ヒカゲヘゴ』は、どことなくソテツの雰囲気があるが、これもシダ類。


 日本では、ソテツは庭木として人気が高く、関東以南の大きな庭に植えられていることも多い。近所の植木センターでは幹の高さ1mほどの蘇鉄が15万円で売られていた。
 左の写真は埼玉県の寺院の庭に植えられているソテツ。



 左は、中国が1996年に発行したソテツ(学名:Cycas revoluta)が描かれた切手。九州・沖縄に自生するソテツと同種のソテツで、中国南部にも自生する。
 ソテツの自生地は、日本では宮崎県都井岬・鹿児島県指宿市・奄美大島嶺山など、海岸近くの岩場が多い。中国切手のデザインもソテツの背後に海が描かれている。

 左切手の他に、「Cycas multipinnata」「Cycas pectinata」「Cycas panzhihuaensis」をデザインした切手それぞれ1種が発行されている。





 台湾には『タイワンソテツ』(注3)が自生しており、ソテツ科ソテツ属に属する。左写真は熱川バナナワニ園のタイワンソテツ。ソテツと似ている。
 



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尖閣にソテツ類はない

 1900年、尖閣を最初に調査した黒岩恒は、『地学雑誌』第12集140,141巻に「尖閣列島探検記事」を執筆した。このなかで、魚釣島にはソテツは皆無であり、また、リュウキュウマツをはじめとした松類が全くないと報告している(141巻P538)。
 米国統治下の1950年代から60年代にかけて、動物学者・高良鉄夫を団長とする第一次〜五次にわたる学術調査団が、尖閣諸島の動植物を調査した。このなかで、高良はソテツはどこにも見られないと報告している。(『尖閣研究 高良学術調査団資料集 下』 尖閣諸島文献資料編纂会/著  P47)

 高良学術調査団によると、尖閣に存在する裸子植物はマツ科のイヌマキ1種である。沖縄県の県木に指定されているリュウキュウマツは尖閣にはない。
 沖縄返還後の1979年5月28日〜6月7日、沖縄開発庁は尖閣の学術調査を行い尖閣諸島調査報告書(新納義馬)を公表した。裸子植物はイヌマキ1種で、ソテツは確認されていない。(尖閣の植物については、『尖閣諸島自然環境基礎調査事業報告書(平成27年2月)石垣市』に詳しく掲載されている。)

 左写真はイヌマキ。関東以南・琉球・台湾・中国南部などに分布する。



 琉球が日本に返還される頃になると、尖閣の所有者は古賀氏から埼玉の栗原氏に移った。栗原氏所有時代の尖閣には、広域暴力団住吉会系右翼団体の上陸がなされていた。右翼団体が放置したヤギが増えて、尖閣の自然を荒らしているので、学術調査団が発見した希少植物のいくつかは絶滅した恐れがある。




昭和天皇のエピソード

 かつて、昭和天皇が山中貞則総務長官に「尖閣にソテツはあるか」と尋ね、知らないと答えると、天皇は「ソテツは沖縄にはあるが、台湾にはない」と言ったとのエピソードがある。昭和天皇は生物学者だったので、ソテツとは種の名前としてのソテツであって、ソテツ類の意味ではないだろう(注4)。種としてのソテツは沖縄や中国南部に自生しており、台湾に自生しているタイワンソテツとは別種である。

 このエピソードの右翼勢力の解釈として、おかしなことが語られる。たとえば、石原慎太郎都知事(当時)は次のように説明している。 

沖縄が返還される前、尖閣諸島周辺に群がるシナや台湾の漁船を危惧した昭和天皇が、当時総務長官だった山中貞則さんに尋ねた。 「山中、尖閣諸島には蘇鉄は生えているのか」 。山中さんは「申し訳ありません、存じません」と答えたのだが、昭和天皇は独白のように「沖縄に蘇鉄はあるが、台湾にはない」と答えられたそうだ。植物学の学者でもある昭和天皇らしい話だが、これはすごく的を射ていて、当時の我々の先遣隊が魚釣島に上陸した際、帰還した学生たちに聞くと、「そこら中、蘇鉄だらけでした」と。人間の行き来が植物の種を土地から土地へ運んで行くわけで、これは昔から沖縄から尖閣諸島への人々の往来が頻繁にあった確固たる証しなのだ。(PRESIDENT 2012年9月17日号)
 石原の言う『我々の先遣隊』とは、広域暴力団住吉会系右翼団体・日本青年社(注5)構成員のことだろう。植物知識が乏しい者にとって、ソテツとタイワンソテツを正しく見分けることは容易ではない(注3)。尖閣で素人がソテツ類の植物を見つけたからと言って、それがソテツである保証はないだろう。もっとも、ソテツは中国南部にも自生するので、尖閣にソテツがあったとしても、琉球渡来とは限らない。

 明治時代の黒岩恒の報告でも、米国統治下の高良学術調査団の報告でも、尖閣にはソテツはないとしている。ここで言うソテツとはソテツ類一般のことであるので、右翼団体がソテツを見つけたとの話は信じがたい。(注6)
 尖閣にはビロウなどヤシ科の植物が繁茂していることはよく知られたことである。ソテツとヤシは良く見れば見間違うことはないが、植物の知識が全くない人の中には、両者の区別がつかない人がいるかもしれない。小学生のころから成績不振だった者が右翼構成員になった場合、ヤシとソテツの区別がつかない者がいてもおかしくはないが、全員が誤ったとしたら驚きだ。

  右系の論客で統一教会と関係が深い小堀桂一郎(注7)に至っては、天皇のエピソードを使って、おかしな自説を展開している。

小堀桂一郎/著『今上天皇論』日本教文社(1990/12)
 山中氏はたしかに訝しく思つたことでせう。大臣としては国の面目をかけての外交交渉の経過を御報告申上げてゐるのに、陛下は蘇鉄といふ大して魅力もない植物のことをお尋ねになる、やはり陛下は生物学者であらせられる、長閑なお立場である―と。しかし御前を退出して暫く後に、どのくらゐ経過しての時点であるかは存じませんが、山中氏は陛下の御下問の含む重大な意味に気がついた由であります。
 事実として、蘇鉄は台湾ににない。沖縄にはいくらでも自生してゐる。尖閣諸島にも生えてゐる。それは沖縄本島と尖閣諸島との聞に往古から人の往来があり、交渉が存在したといふ歴史的・文化的背景を証拠立てる重要な事実である―。しかしこの説明を天皇が自ら口にされることはできないのです。もしそれをすれば、日本の天皇が自ら尖閣諸島は日本の領土であるといふ意見を表明したことになります。それはつまり天皇が国政に容喙されたことを意味し、憲法違反といふことになります。天皇としては蘇鉄に託して、一見長閑な生物学者の関心を装ひつつ御自身のお考へを大臣に暗示するより以上のことはできません。
 天皇のお言葉には往々にしてこの様な謎がひそむものであります。これは今上天皇が皇太子であらせられたころから、立憲君圭制といふこの厳しい制度の枠の中で、自分の責任の範囲を逸脱することなしに、どの様にして御自分の意思を大臣達に伝達するかといふことに就て修業されて来た、偉大なる帝王学の活用であります。(P297,298)(旧漢字を新漢字に直した)

 右翼の論客は、尖閣に蘇鉄があるのかないのか調査隊のきちんとした報告を調べればいいのに、広域暴力団系右翼団体構成員の報告を鵜呑みにしているようだ。昭和天皇は生物学者だったので、科学的な客観事実を大切にしてほしいとの思いがあったのだろう。


  ヤシ科の植物の中には、遠くから一見するとソテツと似ているものもある。左の写真は科学博物館筑波実験植物園の温室前庭のブラジルヤシ(左)とソテツ(右)。この写真では似ているようにも見えるが、幹の感じが違うので、ある程度知識があれば、ブラジルヤシをソテツと混同することはないだろう。




暴力団系右翼団体構成員らは何とソテツを見間違えたのだろうか

 石原慎太郎元東京都都知事によると、尖閣に上陸した右翼団体構成員らはいたるところでソテツを見たそうだ。しかし、植物学者らの調査隊によると、尖閣にはソテツ類は全く見られないと報告されている。右翼団体構成員らは何を見てソテツと勘違いしたのだろうか。

 尖閣にはヤシ科のビロウが広く分布しているが、ビロウの葉はソテツとは全く違うので見間違えるとは考えにくい。ヤシ科のクロツグもあるが、こちらはソテツに似ていないこともないので、見間違える人もいるだろう。しかし、幹の肌の感じが全く違うので、全員が見間違えるとは考えにくい。

ビロウ(尖閣の各地に自生する)
ソテツの葉と似ていないので、
見間違える人は少ないだろう
クロツグ(尖閣にも自生するヤシ科の植物)
葉の形はソテツと似ていなくもないが、
幹の雰囲気は異なる

 尖閣にはシダ類のリュウビンタイがあり、葉の雰囲気はソテツ類の何かに似ているかもしれない。ただし、地面にある半球状の部分から葉が出るので、樹形がソテツ(Cycas revoluta)とは異なる。ヒカゲヘゴのようなヘゴ類は木のようなシダなので、ソテツ類の何かと見間違える人がいるかもしれない。しかし、木の肌の感じはまったく異なるので、良く見ればソテツでないことは容易にわかるだろう。それに、リュウビンタイやヒカゲヘゴはシダ植物なので、葉の裏などに胞子を作るため、これを見ればソテツでないことは容易に理解できるだろう。

リュウビンタイの一種。
リュウビンタイの葉の一部を見ると、
ソテツの雰囲気がある。
ヒカゲヘゴは木生シダ。
本土のシダは草なので木生シダを
ソテツと誤解する人もいるだろう。
リュウビンタイの胞子。ソテツとは異なり、
シダ植物は種子を作らない。

 このように考えると、尖閣の植物のなかに、多くの人がソテツ(Cycas revoluta)と見間違えるものは存在しない。ソテツ類と見間違えるものもないと思う。
 石原慎太郎・暴力団系右翼団体構成員の言っていることは、いったい何なのだろう。


領有権と動植物


 琉球の島々は、少なくとも更新世の初期以降、他の陸地から独立してきた。これに対して尖閣諸島は更新世に入ってからも何度か大陸と接続したことがあり、その最も新しい接続は約2万年前を最寒期とするウルム氷期に起きた。このときは現在の海面よりも120mほど低かったと推定されている。このため、尖閣諸島の動植物は台湾・大陸に近く、琉球とは異なる。
 尖閣諸島の爬虫類は台湾・大陸に近く、宮古・八重山諸島とは遠い。植物相では琉球列島とも関係があり、固有種も生育しているが、中国南部や台湾と関わりの深い種が多い。魚釣島に自生するが、それ以外の日本には産することがない植物に、マルバコケシダなど3種、センカクトロロアオイなど3変種があり、これらの多くは台湾やフィリピンに分布している。また、中国大陸・台湾・日本に産し琉球にはないオオミズゴケが魚釣島に生息している。これは琉球を経由せずに中国大陸から流入したものと考えられる。
    参考文献:横畑泰志、横田昌嗣、太田英利/著『尖閣諸島魚釣島の生物相と野生化ヤギ問題』

 このように尖閣の動植物相は台湾・中国大陸系のものが多いが、そのことは、尖閣の地質年代の成因に関係していることであって、領土の領有権とは関係のないことだ。



(注1)
 琉球にシュウダはいないが、与那国島には亜種のヨナグニシュウダが生息する。高良学術調査団によれば、尖閣に生息するヘビは台湾や中国南部に生息するシュウダ(学名:Elaphe carinata carinata)と同種であり、ヨナグニシュウダ(学名:Elaphe carinata yonaguniensis)とは異なる。


(注2)
 日本では、ソテツは庭園樹木として利用されている。「静岡県吉田町・能満寺の蘇鉄」「大阪府堺市・妙国寺の蘇鉄」など10件が国指定の天然記念物となっている。
 日本で、ソテツが庭園樹木として植えられるようになったのは室町時代からで、山口の豪族・大内氏は京都にソテツを移植している(飛田範夫『日本庭園の植栽史』京都大学学術出版会、P163-165,P183-184)。大内氏は明や琉球などと貿易をしていたので、貿易船によって渡来したものだろう。
 南国や古代を思わせる樹姿なので、庭木や鉢植えなどとして人気が高い。このため、現在、台湾や中国の観葉植物産地で大量に栽培されている。


(注3)
 台湾にはタイワンソテツ(学名:Cycas taitungensis)が自生している。「台東蘇鉄」ともいう。1990年代ごろまでは、中国南部に自生する Cycas taiwanianaと同種と考えられていた。このため、タイワンソテツというと、 Cycas taiwanianaのことか Cycas taitungensisのことか混乱する。ここでは、タイワンソテツとはCycas taitungensisのこととする。

 タイワンソテツ(学名:Cycas taitungensis)とソテツ(学名:Cycas revoluta)の見分け方は、慣れないと難しい。
 ソテツが最大10mにもなるのに対して、タイワンソテツはそれほど高くならない。葉全体の大きさはタイワンソテツのほうが大きい。葉の主軸と小葉の角度が異なる。小葉がソテツではピンとしているのに対して、タイワンソテツではもっと柔らかい感じがする。全体的に、タイワンソテツのほうが優しい感じがする。 
 


 左の図は上原敬二/著『樹木図説 第1巻 そてつ科』のイラストで、左がソテツで右がタイワンソテツ。葉の感じが異なり、ソテツの葉はピンとしているが、タイワンソテツの葉は少しクタットしている。


 しかし、実際の植物を見ると、生育状況によって必ずしも当てはまらない。
 左写真はグッタリしたソテツの葉。右の写真はタイワンソテツの葉。どちらも同じように見える。

(注4)
 昭和天皇は昭和47年に鹿児島県の仙巌園を見学している。ここの南洋植物コーナーには、大きなタイワンソテツがあるので、昭和天皇はタイワンソテツの存在を知っていたはずだ。また、昭和52年には熱川バナナワニ園を見学している。ここの分園入り口付近にもタイワンソテツが植えられている。


(注5)
 日本青年社は指定広域暴力団住吉会小林一家会長・小林楠扶が1961年に設立した右翼団体・楠皇道隊を1969年に改称したもの。最高顧問は住吉会会長・西口茂男。1999年から日本青年社の会長を務めるMは2003年に恐喝容疑で他の日本青年社幹部とともに逮捕されている。さらに副会長のNは2004年に恐喝未遂容疑で逮捕されている。
 1978年、日本青年社は尖閣諸島の魚釣島に上陸して灯台を作った。


(注6)
石原慎太郎は尖閣にソテツを見つけたいきさつについて次のように説明している。

 有志の議員が、政治外の同憂の士と図り、有志の学生たち、主に関西の大学の登山部や冒険部のメンバーだったが、尖閣諸島の魚釣島に一週間交替で泊りこみ、手製の燈台を建設したことがある。その第一次派遣隊が撮って帰った写真に、背は低くとも密々に繁ったジャングルに似た魚釣島の山肌に、一目で知れる数多くの蘇鉄が写っていた。
 「これは蘇鉄だろう。あの島に他に蘇鉄はあったのか」
と質した私に、隊長の学生は、
 「蘇鉄が何か訳でもあるのですか。蘇鉄なら島中にありましたよ」
と答えた。
 他の写真も専門家に廻し、後発隊には、特に植生に関する写真をと注文してさらに調べたが、彼らが持ち帰った写真に関する限り、蘇鉄の他に、蘇鉄とは逆に台湾にありながら沖縄にはない植物は写ってはいなかった。
   (石原慎太郎/著『流砂の世紀に』新潮社(1985.10)P192  初出:新潮1984)

 「山肌に一目で知れる数多くの蘇鉄が写って」と書かれているが、山肌の写真でソテツ・シダ・ヤシを正確に見分けることは困難だろう。「背は低くとも」と書かれていることが気になる。リュービンタイを離れて撮影すると、植物知識が乏しい人は背の低いソテツと見間違える人はいるかもしれない。
 「他の写真も専門家に廻し」ともあるが、いったいどういう専門家なのだろう。裸子植物とシダ植物・被子植物の違いを知らない「植物の専門家」がいたら、笑ってしまう。また、ソテツ(学名:Cycas revolta)とタイワンソテツ(学名:Cycas taitungensis)は似ているので、素人が大雑把に撮った写真で、両者を正確に見分けられる人はいないと思う。


(注7)統一教会とは文鮮明を教祖とする韓国生まれの新興宗教。80年代以降,系列の企業による霊感商法・詐欺が大きな社会問題となった。小堀桂一郎は、統一教会系の新聞・世界日報との関係について以下の説明をしている。

 日本会議の前身である「日本を守る国民会議」で同志の方と共同して、「新編日本史」という国史の教科書を作りました。しかし、その教科書が検定を通過した後、朝日が「何で今頃、こんな教科書を作るんだ」という言い方で、猛烈に「新編日本史」叩きを始めました。私は編集者の代表の一人でしたから、当然、そういう朝日の偏向と歪曲だらけの報道と闘わなければならない立場でした。その時に世界日報から何回も紙面を提供していただいて、支援をしていただきました。私の朝日に対する反論はほとんど世界日報に載せていただき、非常に心強く、大きな励みになりました。(戦後70年日本再興への道筋 P21)


参考文献

尖閣の動植物
・尖閣諸島文献資料編纂会/著『尖閣研究 高良学術調査団資料集 上・下』(2007) データム・レキオス
・高良鉄夫/著 『沖縄の秘境を探る』 (1980/7)琉球新報社
・『尖閣諸島自然環境基礎調査事業報告書』(2015/2)石垣市
・横畑泰志、横田昌嗣、太田英利/著『尖閣諸島魚釣島の生物相と野生化ヤギ問題』IPSHU研究報告シリーズ42号 pp307-326(2009/3)(広島大学平和科学研究センター)
・黒岩恒/著 『尖閣列島探険記事』地学雑誌 Vol. 12 (1900) No. 9 P 528-543_1  

ソテツについて
・上原敬二/著『樹木図説 第1巻 そてつ科』(1970/9) 加島書店
・『植物の世界 130 イチョウ ソテツ ザミア』(1996/10) 週刊朝日百科(朝日新聞社)
・栄喜久元/著『蘇鉄のすべて 』(2003/11)南方新社
・安渓貴子・当山昌直・他/著 『ソテツをみなおす 奄美・沖縄の蘇鉄文化誌』 (2015/03)ボーダーインク
・飛田範夫/著『日本庭園の植栽史』(2002/12)京都大学学術出版会

昭和天皇のエピソードに対する右翼的評論
・小堀桂一郎/著『今上天皇論』(1990/12)日本教文社
・PRESIDENT 2012年9月17日号
・石原慎太郎/著『流砂の世紀に』 (1985.10) 新潮社 P190-P193 (初出:新潮1984)


最終更新 2022.10

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