ニホンアシカ (日本の乱獲により絶滅した鰭脚類)
ニホンアシカは、江戸時代末期には、3〜5万頭が、日本近海に広く生息していた。生息域は、南は宮崎市、伊豆諸島、北は、サハリンやカムチャツカ半島南端まで広がっていた。最大の繁殖地は竹島だったが、このほか、青森県久六島、伊豆諸島の式根島・恩馳島などで繁殖していたことが知られている。
しかし、19世紀末から20世紀初頭にかけて、乱獲のため激減した。最大の繁殖地であった竹島では、1904年から8年間に、14000頭が捕殺され、皮革製品・油・肥料などに利用された結果、明治末期には大幅に個体数を減らした。
日本では、1974年に礼文島沖で目撃されたのを最後に目撃情報はない。また、韓国でも、1975年に竹島で目撃されたのを最後に目撃報告はないので、すでに絶滅したものと推定されている。
絶滅の原因
ニホンアシカが絶滅した最大の原因は、日本の乱獲である。日本は竹島を領有すると、会社を作ってニホンアシカを捕殺し、皮や油を利用した。このため、8年後には、竹島のニホンアシカは激減し、皮や油などへの利用は産業として成り立たなくなった。しかし、昭和になっても、ニホンアシカをサーカス用に捕獲し続けた。
戦後、日本は竹島の施政権を失ったので、日本による乱獲はなくなったが、1950年には、竹島のニホンアシカは、すでに数十〜数百頭にまで激減していた。さらに、1950年代後期になると、日本の高度経済成長のため、近海は海洋汚染にさらされ、ニホンアシカの生息環境は悪化した。
竹島は最大の繁殖場であったが、明治末期に1万4000頭を超える乱獲が行われ、その後も1930-40年には年間数十頭が捕獲された。生息地の多くでは19世紀末あるいは20世紀初頭に絶滅した。その原因は明治政府が駆除や乱獲を放置し、繁殖期に性別・年齢を問わない捕獲が行われたためである。 (和田一雄/著 伊藤徹魯/著『鰭脚類―アシカ・アザラシの自然史』 東京大学出版会 1999/1 P33〜P34)
(井上貴央)竹島の場合は乱獲の記録が残っているので、それが絶滅の主原因といえるでしょう。しかし、50年代は日本海の海洋環境が急激に悪化しはじめたときでもあります。 (多田実/著 『境界線上の動物たち』 小学館 1998/9)
ニホンアシカは、今では絶滅したとされる悲劇の海獣です。かつては日本近海に広く生息し、江戸時代の終わり頃までは4〜5万頭が生息していたといわれていますが、19世紀末から20世紀初頭にかけて多くの場所で乱獲が行われ激減してしまいました。最後の集団繁殖地であった竹島でも、1904年(明治37)から8年間で14,000頭ものニホンアシカが捕獲されました。そして、皮はカパンなどの皮革製品に、皮下脂肪は油に、肉や骨は肥料に利用され、幼獣は生け捕りにされてサーカス用に売られました。当時、アシ力猟は一種の産業として成り立っていましたが、適切な資源管理を怠ったため、種の絶滅をまねいてしまいました。 (「島根県立三瓶自然館サヒメル」展示パネル 2013/11 閲覧)
島根県立三瓶自然館サヒメルのニホンアシカ剥製
ここには3頭のニホンアシカの剥製が展示されている。
オスの成獣 ニックネーム「りゃんこ大王」 オスの成獣の剥製はこれが唯一 |
オスの亜成獣 メスの大きさはこの程度 |
幼獣 | 大きさ参考のための写真 |
昭和初期のニホンアシカ漁 (展示パネルより) |
ニホンアシカノ皮 おそらく毛皮だけど、毛はほとんどなくなっている。 |
ニホンアシカの剥製を収蔵しているところ(2015.6現在 誤りの可能性有り)
島根県立三瓶自然館サヒメル(旧、天王寺動物園収蔵品)(3体) オス成獣、オス亜成獣、幼獣 |
島根県立しまね海洋館アクアス(旧、大社高校収蔵品)(1体) |
島根大学汽水域研究センター(1体) 若いオス(1886年2月、島根県八束郡美保関町で捕獲) |
島根県立出雲高校(1体) |
島根県立松江北高校(1体) |
大阪府天王寺動物園(3体) |
大阪府立岸和田高校 (2体) 幼獣(明治45年購入)、亜成獣(明治38年購入) |
大阪府立大手前高校(1体) |
羽村市動物園(1体)?? 元、立川高校所蔵アシカの剥製。ニホンアシカの剥製とされていた。 確実性に欠けるため、現在は展示中止。 |
このほか、海外の博物館にもニホンアシカの剥製がある
オランダ・ライデン博物館3体(シーボルト標本)、大英博物館1体(毛皮)
ゼニガタアザラシ
ゼニガタアザラシは太平洋から大西洋まで広く分布するが、日本でも、襟裳岬などに定住している。
1940年には道東沿岸に1500頭程度以上生息していたが、乱獲や生息環境悪化の影響で、1970年代には100〜300頭程度にまで減少したため、1974年には、文化財保護審議会が、国の天然記念物に指定するよう文化庁長官へ答申がなされた。ところが、このアザラシによる漁業被害が深刻であるということで地元からの反対が強く、天然記念物指定はたなざらしにされた。このような状況の中、地元襟裳町に、研究者・漁業者・観光業者・主婦など多様な人々によって、「えりもシールクラブ」という団体が結成されてゼニガタアザラシの保護がはかられた。行政の認識も変化し、環境庁が1991年に発行した『日本の絶滅のおそれのある野生生物』では危急種に指定され、1998年のレッドリストでは絶滅危惧IB類に指定された。こうして、2004年には900頭にまで回復した。
ゼニガタアザラシの回復に伴って、漁業被害が起こると、漁業者を中心に、ゼニガタアザラシの駆除要請が高まっている。
襟裳岬のゼニガタアザラシ
(2013年撮影)
トド
トドは北太平洋・オホーツク海・ベーリング海などに生息するアシカ科最大の哺乳類。1960年ごろは25万頭程度以上生息していた。その後、1990年代には1/3にまで激減した。この間、日本では、漁業被害が起こるとの理由で、2万頭前後、殺害している。トドが激減した理由は、日本の殺害の他に、えさのスケソウダラをとりすぎたこと、海洋環境変化などが考えられる。生息数が激減したため、IUCNは危急種に、水産庁(1994)は希少種に、日本哺乳類学界(1997)は絶滅危惧種に指定した。これを受けて、日本では、1994年より、捕獲数の最大を年間116頭に制限した。
現在、生息数に回復傾向が見られる。ロシア・アメリカではトドは保護されているが、日本では捕獲数を増やしている。
左写真は、根室市納沙布岬の観光物産センターにあるトドの剥製。体重1トンのオスの成獣。