竹島問題参考書


 SAPIO編集部『日本人が知っておくべき 尖閣・竹島の真相』





 本の内容の多くは、SAPIOに書かれた竹島・尖閣問題の関連記事を集めたもので、山本皓一氏の著述が中心。
 内容は、日本政府の説明を越えるものではなく、さらに、重複する記述が多いので、ページ数の割には、内容が乏しい。この本を読むよりも、日本政府が無料で配布しているパンフレットを読む方が、理解しやすいと思う。

 一つ、気になったことがある。

 1693年、鬱陵島に出漁していた安龍福は日本人漁民に捉えられ、鳥取藩の取り調べを受けた後、対馬経由で帰国した。この事件をきっかけに、鬱陵島は朝鮮の領土であって、日本の領土でないことが確定する。安龍福は1696年にも日本にやってくる。この時、帰国後、鬱陵島・竹島は朝鮮の領土であると日本人に言ったと説明しているため、現在、韓国では、安龍福を現・竹島を守った英雄として評価している。安龍福供述は、どこまでが事実で、どこがホラ話なのか、怪しいものであるが、この件に関する、山本氏の説明は正しいのだろうか。

 安について触れている最も古い朝鮮側史料とされる『粛宗実録』(1728年〉には、安の供述が載っている(安が朝鮮でも取り調べを受けた理由は後述)。安龍福が纏陵島に来た日本人を追い返す場面について、以下のように記されている(筆者要約)。 《倭人は「われわれは本来、松島に住んでおり(=倭言吾等本住松嶋)、たまたま漁でやってきた。ちょうど帰るところだ」と答えた。これに対して(安は)「松島は干山島だ。これもまたわが国の土地であるのだから、お前たちがどうして住めるのだ」と応じた》 「欝陵島に来た日本人を追い返した」というこの話自体、安の創作だった可能性が高い。松島(竹島)は水も出ない岩礁で、人が住める島ではないのだ。(P62,P63)
 『住』とはどのような意味だろう。現在の日本語では、『住』と書くと、居住のように、少なくても数ヶ月間はその場所に滞在するイメージがあるかもしれないが、広辞苑の説明では『とどまる』の意味が記載されているので、正しい日本語では、長期間居住する意味だけに使う言葉ではない。それに、李白の有名な詩に『両岸猿声啼不住』とあるが、この『住』は『止む』と読み、一時的に止まることを意味している。日本のホテルの中国語案内で、『入住手続』とあると、チェックインのことで、『住』とは、宿泊することを意味しており、数ヶ月以上居住するとの意味ではない。
 このように、現代日本語でも、中世中国語でも、現代中国語でも『住』は短期滞在にも使われる。特に、現代中国語では『雨住了、風停了(雨がやんだ、風がやんだ)』のように、『住』は『停』と同様にSTOPの意味で使われる。

 山本氏は「松島(竹島)は水も出ない岩礁で、人が住める島ではないのだ」と書いているけれど、戦前に竹島でアシカ猟をしていた人たちは、仮小屋を作って、数日間滞在していたので、数日は滞在可能な島であることは明らかだ。
 山本氏は、当時の韓国では『住』を、数ヶ月以上宿泊するという意味以外に使わなかったと、調査した上での主張なのだろうか。それとも、広辞苑程度の日本語の辞書も調べないで、無知・無能で、デタラメを書いたのだろうか。

 もし、山本氏が、優れた学者ならば、綿密な調査の上での記述と思ってしまうが、山本氏の学歴を調べると、出身大学は日大芸術であり、ここの駿台偏差値は45程度と、学業成績が不振でも入れる大学だ。このため、広辞苑程度の日本語の辞書を調べることなく、無知・無能なデタラメを書いたのだろうと思えてしまう。実際は、どうなのでしょう。

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