竹島問題参考書


『山陰地方の歴史が語る 竹島問題』杉原隆/著 (2010.9) 杉原隆・自費出版

 

 島根県のWeb竹島研究所に連載された「杉原通信」を書籍化したもの。内容はすべてインターネットに公開されている。
 著者は、高等学校の社会科教諭を務めたのち、平成17年に島根県が作ったWeb竹島問題研究所に参加した。現在、副所長を務める。
 
 本書は、純粋な研究成果・歴史解説ではなく、山陰地方の文書を中心に、竹島が日本の領土であることを広報するため、日本に都合のよい歴史・解釈がなされているようだ。しかし、嘘を書いているわけではないので、歴史理解の一助にはなる。なお、竹島が日本領であることを強く主張するものではない。
 本書は、30章に分かれ、おおむね時代に沿って、竹島関連の歴史が書かれているが、章分けが多いため、話が発散して読みにくい。広報誌に書いたときは、分量の関係から、細切れになるのは仕方がないが、書籍にするときは、編集しなおしたほうが良かったのではないか。写真はすべてモノクロ。Webで公開されているものはカラーなので、本を読むよりは、Webを見たほうが良いかもしれない。
 
 歴史には世界史的視点が必要であるが、本書では、山陰の歴史という狭い範囲でしか、歴史を考えられないためだろうか、著者独特の偏狭的記述がみられる。
 第4回では、1696年(元禄9年)に、幕府が、日本人の竹島渡海を禁止した件に関して、『大谷家由緒實記』の次の記述を紹介している。
 「安龍福、朴於屯を我々が連行したこと等で朝鮮国王が立腹しておられるので、幕府は竹島が日本領であることを証文をとって朝鮮国王に認めさせた上で、この島をしばらく朝鮮側にお預けになった。」
 歴史研究として、いくらなんでも、どうかと思う。『大谷家由緒實記』とは、要するに個人の日記のようなもので、こういう記述には、ホラ話が多く、歴史資料として盲信するわけにはいかない。幕府の渡海禁止命令は公文書が知られているのだから、信憑性が高い資料を参照すべきだ。そうすれば、「幕府は竹島が日本領であることを証文をとって」との記述が、史実なのか、漁民の無知によるホラ話なのかが、わかるだろう。
 
 安龍福に関連して、第9回(ネットでは第6回)にも、わけのわからないことを書いている。
 安が2度目に来日した時の様子を、『粛宗実録』では、竹島、松島で漁をしていた日本の漁師たちを追いかけながら来日したとある。これにたいして、著者は、「この年の初め、幕府が渡海を禁止し…た中で、5月に日本人が竹島、松島で漁をしていたことは考えられず」としている。禁止しているので、日本人が竹島、松島で漁をしていたとは考えられないとの意図だろう。これだけならばよいのだが、その直後に、「渡海禁止が命じられて以降の竹島渡海はどうなったでしょうか。…その後も熟知した海路を、竹島まではともかく松島(現在の竹島)あたりまで出漁した可能性はあります」としているのは、どうしたことだろう。その後も出漁した可能性があると考えるならば、これは、幕府が渡海を禁止後の出漁になる。
 安が2度目に来日した時には、出漁禁止後だったので出漁した可能性はないとしながら、その後の出漁禁止期間には出漁した可能性があるとするならば、自己矛盾ではないか。
 
 第16回(日露戦争と竹島)の記述は、この程度の人の記述なので、そう書くだろうと予想した通りのことを書いている。
 日本は、竹島を日露戦争のさなかに領有している。それより前の平和時には、周辺各国の思惑を考えて、領有を見送った経緯がある。尖閣もこれと同じで、平和時には領有を見送り、日清戦争勃発やむなしとの判断ができると、急遽領有している。
 では、竹島や、尖閣は戦争追行のために領有したのか。
 著者は、戦争とは無関係に、中井養三郎がアシカ漁をするために領有しかのごとき記述だ。その根拠として、領有したのが、バルチック艦隊出港以前であることを挙げているが、バカバカしくて話にならない。領土の領有は、国際政治への影響が大きいので、いろいろなことを総合的に判断するものだ。日本政府は、いくらなんでも、国際政治音痴の間抜けではないので、領有は総合的判断だっただろう。バルチック艦隊と無関係だとしても、日露戦争と無関係と単純に判断するのは、いくらなんでも、知恵がなさすぎだ。
 いい加減に歴史を書く人に共通している点として、自分に都合のよい原因をとりあげ、それ以外を捨て去ることにより、自分に都合のよいストーリーをでっちあげるが、こういう記述は読む価値がない。
 
 戦後の記述でも、おかしなことを書いている。
 
 第26回では「講和条約が成立すれば、それによって日本の領土処分が決まります。また占領が終了し、連合国最高司令官の覚書も終了します。そこで、竹島が最終的にどうなったかが問題です。・・・こうして、竹島は、従前どおり日本の領土であることが確定しました。」と書かれている。
 講和条約では、日本が放棄する領土が定められているので、それ以外は日本の領土であることが確定したとの考えだろう。このような考えが、日本で行われていたことは事実である。しかし、尖閣も竹島同様、日本が放棄した領土に含まれないが、米国は、尖閣が日本の領土であるとの見解を示していない。この本が出版された2010年には、このような米国見解は広く知られていたので、ちょっと賢い中学生ならば知っているはずだ。それにもかかわらず、単純に「竹島は、従前どおり日本の領土であることが確定しました」と臆面もなく書いてしまう神経は、いったいどうしたことだろう。
 
 第30回も、不正確な記述で、事実を覆い隠そうとしているように思える。
 少年が竹島は人間のものなのですか、と質問した話を紹介して、以下の記述をしている。
 「私はこの少年に教えてあげたいことがあると思うようになりました。国家とは何か、領土とは何か、国と人間の関係といったことです。国家は目に見えない漠然としたものに見えますが、人・国民を守り、領土・領域を保護し、主権・政府を維持しています。また、それぞれの国家は他の国家との関係を国際連合憲章等の国際法を順守することで維持し、国際社会の中に存在しています。たとえば、国際法には領土の取得に関するルールがあります。また、国連海洋法条約は、海に面した国は、その沿岸から12海里(1海里は1852メートル)の「領海」や200海里の範囲を排他的経済水域として、それぞれの国の権利が生じる水域と規定しています。」 
 不正確であり、かつ、国際政治の視点を欠いた、偏狭な地域ナショナリズムとしか言いようがない。国連海洋法条約で、「200海里の範囲を排他的経済水域」としているというのは、嘘である。事実は、「排他的経済水域は200海里を超えることができない」のであって、各国の事情・周辺各国との調整により、排他的経済水域を設けないことや、狭めることには、何ら問題ない。
 竹島は日韓両国で領有権争いがある岩島であるので、排他的経済水域を決める基線から除外することも可能である。いずれにしても、一方の主張のみを押し通すのではなく、両国が平和的・外交的手段で、領土問題を解決することが、国際社会では必要なことだ。
 それにしても、まともな教育者の書くことなのかなー。


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