竹島問題参考書
坂本悠一/著『歴史からひもとく竹島/独島 領有権問題 その解決への道のり』清水書院 (2021/8)
高校生を対象とした領土問題・竹島問題のブックレット。
本の2/3程度は領土・日韓史などで、直接竹島問題を扱っているのは1/3以下。このため、竹島領有権問題の解説書としてみると内容が薄い。ただし、領土問題一般の話や日韓関係史に触れられているので、竹島領有を国際法的・歴史的など総合的に俯瞰するためには、便利な本。
竹島は日本の領土であるとか、韓国領であるなどを一方的に主張する本ではない。
P31,P89で竹島問題研究家の朴炳渉の説を批判している。学説なのだから、賛否両論あってしかるべきであるが、この中で、朴炳渉氏を「竹島問題のオピニオンリーダー」と紹介しているところが気になった。朴炳渉氏は日本語の著書もあるし、ネット上で日本語で、竹島韓国領論を展開していた人ではあるけれど、「竹島問題のオピニオンリーダー」は大げさな感じがする。
興味を持った記述があった。
―――現在韓国で一般的に使われている「独島」という呼称は,実は日本の軍艦の航海日誌に記載されたのが最初なのです。すなわち堀和生の論文によって、日露戦争の最中に当たる1904年9月25日,対露海戦に備えてこの海域に望楼と無線通信線開設の適地を探索していた日本海軍の「新高」が,現地の朝鮮人から聴取した記録に初めて出てくることが明らかにされたのです。(P83)―――
要するに、竹島は1904年以前には現地朝鮮人によって「独島」と聞こえる音により呼ばれていた島であることが日本の資料から明らかにされているということだ。
でも、そうだとすると『1900年の大韓帝国政府の「勅令」公布と独島』にかんして、なんだか分からない記述がある。この勅令は、日本よりも前に朝鮮が竹島を領土としていた根拠とされるものである。
―――しかし,この勅令の決定的な弱点は,地域が正確な経度・緯度で特定されていないことであり,「石島」を当時の韓国政府が未だ把握していないはずの,日本軍艦の記録した「独島」と同一視していることです。(P88)―――
朝鮮人に独島と呼ばれていたことは、日本の文献から明らかだ。著者は『韓国政府が未だ把握していないはずの,日本軍艦の記録した「独島」』と書いているのはどういうことだろう。1904年9月25日に日本海軍が聴取した朝鮮人は朝鮮国の国民なので、朝鮮政府の地方役人の管轄下にあったことは明らかなので、普通に考えたら、朝鮮政府の地方役人が「独島」を把握していたと考えるのが自然だ。著者の記述では、単なる著者の妄想に感じる。もし、著者が、朝鮮政府が未だ把握していないことを資料により明らかにしているならばそのように書けばよいのに。
これも、意味が分からない。
―――ここで確認しておきたいのは,植民地支配下でも本来であれば鬱陵島から竹島/独島への出漁は「渡航証明書」が必要なのですがそういった記録は一切見当たらないことです。つまり植民地期を通じて,竹島/独島が隠岐島の属島から鬱陵島の属島へと転化するという皮肉な結果が生じたと言えるでしょう。19Q5年に竹島/独島を島根県に領土編入した措置によって鬱陵島と竹島/独島に間に引かれた「国境線」が,10年の「韓国併合」により実質的に消滅したと考えられるのです。(P93)―――
鬱陵島から竹島への渡航証明書が必要なかったのは、竹島が鬱陵島と同じ管轄になったためであると推定しているのだろうか。しかし、事務手続きの簡素化のための処置など、他の理由で渡航証明書を必要としなかったのかもしれない。理由の推定などいくらでもできるが、著者のいう理由の根拠が推定なのか、資料により確認したことなのか、この記述では分からない。
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