福島原発事故後の30km圏(2) 前編ー川俣町・飯館村




<いつになったら、村に戻れるのだろう>

 下図のオレンジ色線は、長泥コミュニティーセンターの事故後42日から9月末までの放射線強度(縦軸は対数目盛)。1年に半分のペースで減衰している。この調子で減衰すれば、3年後に1μSv/h、4年後に0.5μSv/h程度になるかもしれない。3〜4年で、帰宅できるようにも思える。



福島原発事故から1ヵ月半あまりたった、2011年5月上旬に、福島県をドライブした。
それからさらに5ヵ月たった、2011年10月上旬、再び福島県に行った。



川俣町

 文部科学省の「放射線量等分布マップ」によると、川俣町のセシウム137の濃度は高いところで600kBq/m2以上、多くは100〜300kBq/m2だ。
http://radioactivity.mext.go.jp/ja/1940/2011/08/1940_0830_1.pdf

 放射能が非常に高い地域は避難地区になっているので、農業は行われていないだろうが、100〜300kBq/m2の地域では、普通に農業が行われている。信じがたい。

参考までにチェルノブイリの基準を記載すると、次のようになっている。
 185〜555kBq/m2 :補償つき任意移住エリア
 37〜185kBq/m2 :放射線管理エリア
チェルノブイリの基準を参考にするならば、川俣町の多くも、できれば、移住したほうが良いだろう。子供たちは、全員移住したのだろうか。100kBq/m2を超えるような農地で取れた農作物を安易に食べるべきではない。

 下の写真は、川俣町の道の駅。ここには、農産物直売場があり、地場野菜などが売られている。


福島県の測定によると、この近くにある川俣町役場の環境放射線強度は0.6μSv/hを超えている。
放射能を使う実験室などで、この値だと、放射線管理区域に指定して、専門教育を受けた関係者以外立ち入り禁止となる。18歳未満の者が立ち入ることはできない。

川俣町・道の駅では、国の放射能汚染基準内のものが売られているが、セシウムで500Bq/kgとかなり高い価が設定されているので、国の基準内だからといって、安易に食べないほうが良いだろう。

ここで、売られていた農作物は、どれも安かった。
梨、キノコ(ヒラタケ)、枝豆を買った。梨は、大きめの豊水が4個で300円。キノコは1パック250円。

安易に食べないほうが良いだろうと言いつつ、安易に食べた。梨はむいて。枝豆は茹でて。
キノコはお吸い物で。



飯館村


飯館村に入る。ここは、放射能が高いため、全員退避になっているけれど、立ち入りが禁止されているわけではない。
村役場は立派な庁舎。時々訪れる人がいる。



市役所の掲示は、毎時2.67マイクロシーベルトと高い。



役場向かいの飯館クリニックは6月から休診。



飯館中学校も、アスファルトの割れ目から雑草が生えていた。




 農業はしていないけれど、雑草を刈り取っている人がいた。今は汚染がひどいので農業はできないが、雑草を刈り取ったほうが、それだけ早く汚染も低下するだろう。チェルノブイリでは汚染された土地は原発事故後25年たっても農業再開の見込みはまったくない。しかし、日本はウクライナと違って雨が多いので、飯館村でも、場所によっては、数年後には農業の再開が可能になるかも知れない。だから、草刈をしたほうが良いだろう。




飯館村の繁華街。閑散としていて、誰もいない。右側のお伽の国のような建物はパーマ屋さん。もちろん休業中。




家の中に洗濯物が干してあった。時々帰っているのか、退避したままなのか。




長泥地区に行く。ここは、特に汚染が激しい地域。タンポポは普通の大きさだった。




長泥コミュニティーセンターに行く道は車両通行止。歩いてはいるのは、かまわないのだろうか。




長泥コミュニティーセンター入り口。





後編に続く


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