福島原発事故後の30km圏(2) 前編ー川俣町・飯館村
<いつになったら、村に戻れるのだろう>
下図のオレンジ色線は、長泥コミュニティーセンターの事故後42日から9月末までの放射線強度(縦軸は対数目盛)。1年に半分のペースで減衰している。この調子で減衰すれば、3年後に1μSv/h、4年後に0.5μSv/h程度になるかもしれない。3〜4年で、帰宅できるようにも思える。
福島原発事故から1ヵ月半あまりたった、2011年5月上旬に、福島県をドライブした。
それからさらに5ヵ月たった、2011年10月上旬、再び福島県に行った。
飯館村に入る。ここは、放射能が高いため、全員退避になっているけれど、立ち入りが禁止されているわけではない。
村役場は立派な庁舎。時々訪れる人がいる。
市役所の掲示は、毎時2.67マイクロシーベルトと高い。
役場向かいの飯館クリニックは6月から休診。
飯館中学校も、アスファルトの割れ目から雑草が生えていた。
農業はしていないけれど、雑草を刈り取っている人がいた。今は汚染がひどいので農業はできないが、雑草を刈り取ったほうが、それだけ早く汚染も低下するだろう。チェルノブイリでは汚染された土地は原発事故後25年たっても農業再開の見込みはまったくない。しかし、日本はウクライナと違って雨が多いので、飯館村でも、場所によっては、数年後には農業の再開が可能になるかも知れない。だから、草刈をしたほうが良いだろう。
飯館村の繁華街。閑散としていて、誰もいない。右側のお伽の国のような建物はパーマ屋さん。もちろん休業中。
家の中に洗濯物が干してあった。時々帰っているのか、退避したままなのか。
長泥地区に行く。ここは、特に汚染が激しい地域。タンポポは普通の大きさだった。
長泥コミュニティーセンターに行く道は車両通行止。歩いてはいるのは、かまわないのだろうか。
長泥コミュニティーセンター入り口。
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