北方領土問題参考書



『ロシアへの反論』 安全保障問題研究会/著 自由国民社 (2007/12)



 『ロシアへの反論』を読もうと思って、埼玉県内の公共図書館(県立図書館・市立図書館)で探したところ、所沢市立図書館に一冊置かれていました。人気のない本だから仕方ないとしても、あまりにも少ない蔵書です。

 1999年に文春新書から『変わる日ロ関係(安全保障問題研究会編)』が出版されました。この本は、Q&A形式で、北方領土問題を解説しています。内容は、同じ頃出版された『北方領土 Q&A80(下斗米伸夫/著)』にくらべ、日本に都合の良い我田引水的解説が目立つものと感じました。『変わる日ロ関係』は現在、絶版になっています。
 ロシアで、『変わる日ロ関係』の内容に対する反論がな為され、ロシア語で出版されたようです。さらに、2005年に日本語訳が、埼玉県の地方出版社から出版されました。この本は、国立国会図書館や東京都立中央図書館には蔵書がありますが、多くの公共図書館には置いていないようですし、書店にも置いていないと思います。
 『ロシアへの反論』はロシアからの反論に対する再反論です。でも、ロシア側の反論を読む機会がほとんど無いため、この本を読んでも仕方ないように思います。『ロシアへの反論』は、ロシア側の反論に多少は触れているものの、ロシア側の詳しい反論は、この本を読んだだけでは分かりません。

 内容について少し触れます。
 『ロシアへの反論』は安全保障問題研究会の編集で、実際には、木村汎・吹浦忠正・児玉泰子・袴田茂樹・諸氏等による執筆です。日本に都合の良い我田引水的解説が目立つように感じられる本ですが、北方領土問題に関してロシア側からなされる反論も、ロシアの我田引水的解釈が多いので、どっちもどっちです。
 一例を挙げると、Q9にカイロ宣言の解釈の説明があります。同書では『カイロ宣言は領土不拡大の原則を確認したものである』と説明しています。ロシアでは、『カイロ宣言は日本の侵略を阻止しこれを罰することを目的としている』と説明されます。カイロ宣言には、米・英・中には領土拡張の気持ちが無いこと、戦争の目的が、日本の侵略を阻止しこれを罰することであると書かれています。このため、双方とも一面的で自分に都合の良い解釈であるとの感は免れません。

 ところで、『ロシアへの反論』を読むと、ちょっと不快な思いがします。
 日本の北方領土返還運動は、本来、国民的課題であると説明されます。しかし、北方領土返還運動が全国的拡大をするきっかけとなった、昭和45年の宮城県民会議は、靖国神社国家護持、憲法改正とともに、北方領土返還が求められました。日本の、いわゆる右翼運動の手段の一つに北方領土返還運動が取り上げられた経緯があります。
 『ロシアへの反論』では、『日本自体は無条件降伏を受諾しなかった』と説明しています(Q22)。現在、日本では、日本国が無条件降伏したとの説と、日本国は無条件降伏をしていないとの説があります。この本は、特定のイデオロギーに依存し、更に、北方領土返還運動にかこつけて、特定な主義主張を宣伝するものであるようです。
 同じような主張は、「日ソ中立条約」の説明でも見られます(Q17)。「日ソ中立条約に違反してソ連が宣戦布告した」との説明がなされています。しかし、日本が受け入れた東京裁判(極東国際軍事裁判書の判決)では、「中立条約が誠意なく結ばれたものであり、またソビエト連邦に対する日本の侵略的な企図を進める手段として結ばれたものである」と認定しており、『ロシアへの反論』の説明とは全く異なります。Q25に「法的側面では日本は…東京裁判を受け入れ、…」と説明されているにもかかわらず、東京裁判の判決を無視しています。2005年に日本の右翼論客たちにより、日本が受諾した東京裁判とは、刑の宣告の部分だけだとの主張がなされたことがあります。『ロシアへの反論』の著者は、このような考えを前提として書いているようです。

 不思議な記述が散見されます。日本の敗戦・戦争の終結を、ロシアでは9月2日あるいは3日としています。ところが、『ロシアへの反論』では、8月15日に戦争は終結したと、数箇所で主張し、ロシアの主張に反論しています。こんなことを何のために反論するのか意図が分かりません。日本でもっとも有名な日本史の高校教科書、詳説日本史には『9月2日、東京湾内のアメリカ軍艦ミズーリ号上で日本政府及び軍代表が降伏文書に署名して、4年にわたった太平洋戦争は終了した』と書かれており、ロシアの説明と同じです。

 Q22には、『ロシア側の反論では、日本政府が北方領土からの日本人引揚をソ連側に要請したとしているが、そうした事実はない』と書かれています。実際には、占領当時、日本政府は外交権限が無かったので、GHQに対して、日本人引揚を要請し、GHQは日本人引揚をソ連側に要請しました。日本側の要請は、昭和22年8月15日衆議院本会議にて可決された、『海外同胞の引揚に対する感謝並びにその帰還促進に関する決議』などからも知ることができます。
 北方領土からの引揚については、 1999年出版の『変わる日ロ関係』Q1に『約三年後には、一人残らず日本本土へと強制退去させられた』と書かれていましたが、実際には、このとき残留した日本人の存在が知られていました。日本国内で、『一人残らず日本本土へと強制退去させられた』との虚偽宣伝が為されたため、樺太・千島の残留日本人に対する、支援が遅れた面があったようです。

 北方領土返還運動関係者は、先住民の存在を故意に無視する人が多いようです。ロシアでは、先住民の視点で極東を捉えることが多く、この点、日本の固有の領土論は批判を受けています。『ロシアへの反論』Q11に、『 アイヌ問題を持ち出すことはロシア人にとり二重尺度であり諸刃の剣となるのである』と、意味不明な記述が為されています。事実を正しく認識することが、問題解決に欠かせないことであるのは、まともな人間ならば常識でしょう。北方領土返還運動関係者は、北方領土問題を、日本とロシアの土地の分捕り合戦との視点でしか、捉えていないのでしょうか。
 領土問題は、そこに住んでいる人・住んでいた人・住みたい人、これらの人たちの幸せの問題です。

 現在、ロシアには、1956年の日ソ共同宣言を基本に交渉しようとの基本的立場があるようです。『ロシアへの反論』Q43では、これを批判し、『東京宣言』が同じように重要な法的文書であるかのような主張を行っています。日本政府は「1993年10月13日付けの日露関係に関する東京宣言は、法的拘束力を有する国際約束ではない」とロシアと同じ説明をしているので、『ロシアへの反論』の説明は、日本の標準的な説明ではなくて、特定の勢力の極端な主張のようです。ところで、『東京宣言』にくらべ『イルクーツク宣言』の方が新しいので、普通に考えれば、『イルクーツク宣言』の方が、より重視されますが、『ロシアへの反論』の記述は、イルクーツク宣言を嫌っているようです。イルクーツクでの、森・プーチン会談では二島先行返還論が議論されたとの噂があります(真相は不明です)。イルクーツクのときは、東京宣言のときに比べ、現実的解決を図ろうとした気運があった会談でした。


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