北方領土問題参考書


『元島民が語る われらの北方四島 ソ連占領編』  (1988年3月)   制作:北方ライブラリー制作委員会 委員長:木村汎

 

 古い本であり、販売されたものではないので、大きな図書館に蔵書がある程度で、一般には、ほとんど 見る機会はないが、ソ連占領当時のようすを、旧島民の証言を元に、まとめた本なので、この問題 に関心のある者にとっては、欠かせない一冊。しかし、住民の証言は良いとして、タイトルや、編者の解説はいただけない。内容と異なることを平気で書いて 、事実でないことが、さも事実であるように書かれている箇所が散見される。
 タイトルでは「ソ連は、進駐当時、アメリカ兵はいないかと尋ねた」「日本人は北方4島から強制送還さ れた」となっているが、内容を読んでみると、決してそうとは言えない。

 制作委員会委員長の木村汎氏は、自身の著書のなかで、ソ連兵は決まって「アメリカ兵は上陸していないか」と 言ったと書いている。

『元島民が語るわれらの北方四島』も、証言している。北方四島の各々に上陸してきたソ連兵が真っ先に 日本人住民に尋ねた質問が、きまって「アメリカ兵は上陸していないか」という問いだった、と。  日露国境交渉史 中公新書(1993.9) P102,103 


 本書を読むと、木村汎氏の著述内容は、事実とかなり異なることがわかる。『元島民が語 るわれらの北方四島』から、木村汎氏が指摘する2箇所を見てみよう。

アメリカ兵の存在をしつこく尋ねる
 ソ連兵の進駐当時の様子を福井澄さん(釧路市在住)は、次のように話しています。・・・
 ソ連兵は口々に何か言うのですが、お互いに言葉が通じず閉口しました。しかし、よく聞き返しまし たところ、『日本の兵隊はいるか?とかアメリカ兵は上陸していないか』と言っているのでした。次に は、『占領の旗を揚げたい。何か赤い布はないか?』と言います。確か万国旗が神社にあったはずだと思い 、探しましたがありません。(P152,153)

アメリカ兵はいないか…  
 「ソ連軍が色丹島に上陸したのは二十年九月一日でした。上陸地点は斜古丹です。・・・ソ連軍が進駐 して来て最初に聞かれたことは、「アメリカ兵が島にいないか』ということです。
 当時、・・・島に残っていたのは武器もなく何等抵抗できない島民のみでした。言葉がまるで通じないということもあって、いきなり発砲されたりという事態も考えられ、大変不安でした。(P176,177 )


 どちらも、タイトルでは、アメリカ兵の存在を聞いたとなっているが、内容を読んでみると、元島民の証言では、言葉が通じず、ソ連兵の言っていることを推定した結果、「アメリカ兵はいないか」と聞いたと思ったのであった。本書には、元住民の証言がいくつも記載されているが、アメリカ兵云々の元住民証言は、この2箇所だけであって、木村汎氏の著書に書かれているように、『きまって、アメリカ兵は上陸していないか、という問いだった』事実はない。本書に記載されている、軍人の証言でも、アメ リカ兵云々の話は、日本軍特警隊員による、わずか1箇所である(P371)。
 本書のタイトルで、事実と異なる記述をしているが、木村汎氏の著書では、さらに輪をか けて、事実でないことを書いているようだ。

 「強制送還された日本人」の章も、いただけない。

強制送還された日本人
 北方四島からの日本人の強制引揚げは、ソ連側の方針で、昭和二十二年七月から実施されました。・・ ・
 この強制引揚げは、地域によって引揚げの月日に差があります。最も早かったのは、昭和二十二年七月 四日、二度目は同年九月下旬、四度目は二十三年十月上旬、二十四年七月下旬が最後と言われています。
 これら数度にわたる引揚げは、いずれもソ連側の事情による一方的な命令によるもので、日本人島民の 意志では全くありませんでした。ソ連軍占領下の島の生活を嫌い、日本への帰還を望んでいた島民は確か に多くいました。しかし、中には、祖先伝来の地を守り、住み馴れた島で平和に暮していきたいと強く願 っていた人も少なからずいたのです。
 ソ連軍は一方的に引揚げを通告し、日本人島民の任意の選択は一切認めないと言う強制的なものでした 。

 (このあと、具体的な証言が記される。)

 以上のように、元居住者たちは、北方の歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島から強制的に、わずかな身 廻品を持たされただけという裸同然の姿で、追い出された当時の悲惨な状況を切切と語っています。 (P398,399,419)


 初めの部分とまとめの部分だけを読むと、日本人が強制送還されたかのごとく感じるだろ う。しかし、住民証言など内容を読むと、まったく異なっていることが分かる。
 ソ連兵と結婚のため残留した女性の話や、引き揚げ順番を早くするため賄賂を使った話、残されると知って発狂した人の話などがあるが、残留希望が聞き入れられなかった人の話は、一件もない。
 さらに、P407の表には、推定残留者数202名、一般資料で確認できる残留者数12名と記されており、「歯舞一家8 名希望残留」との特記がある。

 以上のように、本書の旧島民の証言の部分は、十分に読む価値があるが、北方ライブラリー制作委員会・委員長木村汎によるものと思われる記述や、タイトルなどは、事実と異なる記述が多く、この部分には、読む価値はないだろう。


千島はだれのものか―先住民・日本人・ロシア人 (ユーラシア・ブックレット) 黒岩幸子/著 (2013/12)東洋書店



 1960年代に、政治的に、北方領土の概念が作られたことにより、日本人の中では、南千島と北千島が別個のものとして認識されるようになった。
 本書では、このような立場から離れて、千島列島全体を、そこに関与したアイヌ・日本人・、ロシア人たちの歴史としてとらえる。北方領土問題を直接取り扱った本ではないが、長い間、膠着状態にある北方領土問題の解決策を考える上で参考になる。



『北海道の捕虜収容所 もう一つの戦争責任』白戸仁康/著  北海道新聞社(道新選書) (2008/08)  

 
 
太平洋戦争中、連合軍捕虜を収容するため、函館に捕虜収容所が作られた。本所は函館だが、北海道各地に分所が作られ、さらに、炭鉱労働などに使役された捕虜は、民間会社の管理となったこともある。

本書は、函館捕虜収容所(本所・分所等)の詳細を明らかにしたもの。日本軍管理俘虜収容所の実態に関する類書が少ないので、本書は、これらの問題理解に大いに参考になる。

日本軍は俘虜を認めず、自殺することを命じていたため、連合軍俘虜に対して、国際法に反した残虐行為を平気で行っていた。函館捕虜収容所においても、凄惨な俘虜取り扱いが行われていたが、このような犯罪行為は所長によって随分と違っていたようだ。本書では、このような実態が詳しく記されている。

日本は、なぜ、俘虜の残虐な取り扱いをしたのか、不思議でならない。食料を少なくするとか、労働をきつくするとか、そういうことならば、利益を上げるためであると説明がつく。しかし、理不尽に殴りつけて、その結果作業が滞るなど、不合理なリンチが頻発している。何の目的で? 江戸時代、階級分化が固定化していたため、下位の貧農層を中心に残虐性向が生じたのでしょうか?


北方領土・竹島・尖閣、これが解決策  岩下明裕/著 (朝日新書 2013/7)



 本のタイトル通り、日本の領土問題解決策の提案。
 著者は、ロシア関係が専門だが、最近は、境界問題の研究者として有名。ロシアと中国では、長年の懸案であったアムール川の中島の領有権問題を折半する形で解決した。歴史的には中国領だったが、近現代の歴史の中でロシア領となったところなので、現状からすると、ロシアの大きな譲歩だった。著者はこの時の解決を元に、2005年には、北方領土解決策の提案を著わしている。

 本書は、北方領土のほかに、竹島・尖閣についても、解決策を提示しているもの。

 北方領土については、2島プラスアルファを提案している。以前は、歯舞・色丹の2島だったようだが、本書では、歯舞・国後の2島も視野に入れているようだ。しかし、現状では、どちらの提案も、日本が受け入れず、歯舞・国後の2島ではロシアも受け入れないだろう。
 著者は、地元では領土問題を解決してほしいとの要望が多いとしている。確かにその通りなのだろうけれど、一方で、領土問題をエサに、税金を懐にする勢力が存在することも事実で、彼らにとっては、領土問題を解決させないことが課題なので、このような勢力をなんとかする必要があるが、本書では、この点については、まったく触れられていない。すでに、無視しうる程度に影響力を持たないのだろうか。

 著者の竹島問題解決方法は、歴史問題と領土問題を切り離し、海洋資源利用の問題とすべきとの主張だ。日本の一部勢力には、歴史問題を絡めて、日本の過去を正当化しようとの主張も散見されるが、このような立場と決別することなしに、領土問題の解決はないだろうから、著者の主張には、一面では賛同できる。しかし、それならば、領土の領有は現状維持、すなわち竹島は韓国領ということになってしまうのではないだろうか。この点が明らかに示されていないので、著者の竹島解決崎が良いのか悪いのかどうもよく分からない。
 尖閣についても、著者は竹島同様の主張だ。現在、尖閣は日本が実効支配しているので、歴史問題と領土問題を切り離し、海洋資源利用の問題とすることが、日本の領有権主張に、適している。日本は現状維持、すなわち、領土問題にならないように、努力すべきなのに、昨今の日本の政治勢力は逆のことをしている。

 領土問題の解決案について、必ずしも同意できるわけではないが、自分の考えを反省するためにも、一読の価値はある本だと思う。






北海道の歴史がわかる本 桑原真人、川上淳/著 亜璃西社 (2008/3)


 

 文章は易しく書かれており、予備知識も特に必要とせず、容易に理解できるように書かれている。内容は正確なので、気楽に正しい知識を得ることができるようになっている。
 
 本の前半は川上氏による著述で、明治維新までの北海道史。アイヌ史や対ロシア史をトピックスを元にまとめているが、主要なポイントはきちんと押さえているので、この時代の歴史教科書として読むことができる。トリビアな話題はない。
 
 後半は桑原氏による明治以降の北海道史。おおむね戦前まで。トピックスを取り上げた解説で有るが、トリビアなものも多く、歴史教科書ではない。北海道近現代史を有る程度知った上で読んだほうが良いかもしれない。




『領土問題から「国境画定問題」へ -紛争解決論の視点から考える尖閣・竹島・北方四島-』 名嘉憲夫/著 (2013/7) 明石選書


 日本が、尖閣・竹島を領土を編入したのは、日清戦争と日露戦争の最中だった。軍事力に勝る帝国が、隠密裏に編入したものだったが、両者は、国境地帯にあって、国境画定交渉がなされていない島だった。
 過去を振り返れば、江戸時代に、鬱陵島が日朝で係争になったときは、平和的交渉によって解決した。明治に、日清で琉球の帰属が係争になったときは、交渉で解決しようとしたが妥結せずに、日清戦争に突入、その結果、台湾と共に日本領であることが確定した。

 日本の領土問題である、北方領土・竹島・尖閣を、日本では、これらを固有の領土であると主張しているが、著者は、過去に平和裏に解決したときのように、国境画定問題として対処すべきと説いている。

 文献の引用箇所の情報が詳しく、領土問題を研究する上で、便利な本。
 「固有の領土か」「国境画定か」との問題に関連して、興味が持てた記述を紹介する。

 「当時の国際法によれば」という言葉を連発する人々の言う「国際法」とは、実際には19世紀の"文明国とされたヨーロッパの国の間でのルール"であり、"半文明国"や"野蛮国"とされた多くのアジアやアフリカ、オセアニアの国々には適用されないものであった。それは、ドイツのビスマルクが明治の遣欧使節に言ったとされる「ヨーロッパの国々は、自分たちに都合のいいときには国際法を持ち出し、そうでないときは武力を用いる」ことを正当化するようなものであった。  17世紀の幕府と朝鮮国は、欝陵島と松島の問題に関して、19世紀の西欧国家よりもずっと誠実で外交の基本を抑えた対応をしているといえる。
 以上をまとめると次のように言えるのではないだろうか。近世初頭の17世紀における日本の「領域」は、本州、四国、九州、北海道の一部で構成され、蝦夷や琉球は、朝鮮とともに「異国」であった。しかしながら、この日本型華夷秩序も中華型華夷秩序と同じで、支配者同士の身分的な臣従関係が基本であり、そうした臣従関係の及ぶ範囲が国同士の境界も作った。実際に物理的な周辺地のどこまでが「国境」かについては曖昧な面もあった。"地球上のすべての地表と河川・海域を国境線で区切る"という考えは、近代に出てきた発想である。
 蝦夷と琉球は、経済的にも文化的にも次第に「日本国」との関係を強めていき、その性格も幕末につれて変化していくのであるが、それでも近世初期に成立した幕府-松前藩-蝦夷地、幕府-薩摩-琉球という封建的な法的関係の基本的枠組みは維持されていた。この状態が、明治維新まで続いたのである。(P73)
 国際法学者の松井芳郎は、現在の尖閣問題の淵源を19世紀におけるヨーロッパ的国際秩序と異質の国際秩序である東アジア中華帝国秩序の齟齬に求める。松井によれば、中華帝国が支配する地域は、ヨーロッパ的国際秩序の意味における「領域」ではなく、「版図」であったという。「領域」は明確な境界"国境を持ち、その内側で政府による実効支配が行なわれるが、「版図」は皇帝の統治の恩恵に浴する者や集団が住む空間であり、明確な境界を持たない。日本政府が先占によって尖閣諸島を領有したと主張するとき、それはヨーロッパ的国際秩序の「領域」観を前提にして、そこがどの国の実効支配も及ばない「無主地」であったとの理解に立っている。一方、中国政府は、当時尖閣諸島はすでに中国領だったのであるから先占を言う必要もないと主張する。その根拠として、近世を通じて中国から琉球王国に派遣された冊封使節が尖閣諸島を航路標識としたこと、明の時代に倭冠に対して設けられた沿岸防衛区域に尖閣諸島が含まれていたこと、中国漁民が荒天時に避難場所として利用したことなどを挙げる。このような事実は、ヨーロッパ的国際秩序における実効支配には当たらないが、華夷秩序において尖閣諸島が中国の「版図」であったという理解を正当化することはできる。尖閣紛争は、こういった意味で「国際秩序観」の衝突でもあるという。(P94)
  注)参考文献:松井芳郎「国際法から世界を見る」(東信堂 2001) pp15,16
 古代の律令国家の成立時と同じように、もし1868年を近代日本国家の成立時と考えるならば、この時点での日本国の国境が近代日本の"元々の国境"ということになる。"元々の国境"があれば、その内側が"元々の領土"であろう。もし「近代日本国家の固有の領土」という言葉を使いたいのであれば、1868年時点での領土がそうであるということになろう。(P104)
 芹田(芹田健太郎)は、国際法上「先占」が有効になるのは、国家が領有の意思を持って実効的支配をする場合であるとする。芹田によると、領有意思は、当該地域を国家の版図に編入する旨の宣言、立法または行政上の措置、他国への通告によって示される。通告はなされていなくとも、それ以外の手段で領有意思が表明されておれば十分であるとする。ところが、芹田は、「尖閣諸島の領域編入は、日本のその他の島嶼の領域編入の際に用いられた「通告」とか、「告示」とかの形式……がとられておらず、また標杭が建てられた事実も確認されていないので、不正規なものである」とする批判には反対する。相手国との関係で、「編入手続き」がどれだけ"適切か"、少なくとも紛争を引き起こさない程度に適切であったかの議論をしているはずが、芹田はそれには答えないで、いきなり占拠後の「実効支配」の論理を持ち出す。そして「尖閣諸島に対する日本の実効支配は明らかであるが、そのほとんどは日本が台湾の割譲を受けた後の台湾統治時代のものである」と指摘する。そのように述べたすぐ後で「そのため、中国からの抗議はないものの、無主地先占をした島嶼に対する支配なのか、割譲された地域に含まれる島嶼に対する支配なのか、必ずしも分明にすることができないかもしれない」と述べている。こうした議論には首を傾げざるをえない。(P182)



『アイヌの沈黙交易  奇習をめぐる北東アジアと日本』瀬川拓郎/著 新典社 (2013/5)(新典社新書61)



 同じ著者の『コロポックルとはだれか 中世の千島列島とアイヌ伝説』の関連図書。
 千島アイヌと、北海道アイヌとの間に行われていた交易は『沈黙交易』だった。本書では、沈黙交易がどのようなものだったか、なぜ、このような交易形態になったのか、その背後にある、穢れ祓いの説明がなされている。

 千島はロシア領になったり、日本領になったりと、そこに住むアイヌを無視する形で領有関係が変化した。そうしたなかで、千島アイヌは滅んでしまった。千島アイヌに思いを馳せると、北方領土の領有権争いが、「さもしいこと」に感じる。




『コロポックルとはだれか 中世の千島列島とアイヌ伝説』瀬川拓郎/著 新典社 (2012/4) (新典社新書58)



 コロポックルとは、北海道に伝わる小人伝説。本書は、コロポックル伝説の色々なバリエーションや、語られている地域を説明し、さらに千島アイヌの歴史を示したのち、コロポックルは千島アイヌのことであろうとの推定をしている。コロポックルを、単なるおとぎ話ではなく、辺境民族史として捉えることにより、歴史のロマンに思いが至る。
 千島アイヌは、カムチャツカ南部に進出していた時期もあり、カムチャツカのイテリメンとの混血もある程度進んでい。そういうことを考えながら読むと、さらに、北方に対するロマンが広がる。

 ロマンとして読むならば十分なのだが、書かれていることが本当に史実と考えてよいのだろうか、著者の推理の範囲を出ないのではないのだろうかとの疑問を感じた。



『オホーツク諜報船』西木正明/著 (1980.7) 角川書店

 

 北方4島周辺海域はソ連・ロシアの施政下にあるため、日本の漁船が無許可で漁業することはできない。不良漁民により密漁が行われるが、一部には、ソ連のスパイ活動をする代わりに、密猟を見逃してもらうものもあった。このような船を「レポ船」という。
 本書は、レポ船を題材とした小説。それなりに取材がなされていて、ある程度レポ船の実態を反映しているようにも思えるが、何が真実で、何が作り話なのかよくわからない。当時の北方4島周辺海域の密猟の雰囲気を理解する上で、一定の参考にはなるかもしれないが、それならば、本田良一氏の本を読んだほうが事実が分かって良いだろう。単なる娯楽小説として読む以外は、特に、読書の価値は少ないかもしれない。





蝦夷島と北方世界 (日本の時代史) 菊池勇夫/編 (2003/12) 吉川弘文館



 アイヌを中心とした北海道の前近代史を学習するための好適な教科書。

 最初の1/3程度は、菊池勇夫氏による、アイヌ・オホーツク人等の蝦夷通史。あまり知られていない、アイヌ関連の歴史の概略が理解できる。

 残りの部分は、菊池氏を含めた6氏による蝦夷関連の各分野の解説。これら6つの論文には直接的な関連はないので、興味ある章を読めばよい。
 このなかで、最終章は、川上淳氏による、日露関係とアイヌの歴史。このテーマで全体を概説したもので、それほど詳しい内容ではないが、北方領土問題を理解するうえでの基礎知識として、読んでおく価値は多いにある。





『最後のシベリヤ捕虜記 実体験から「抑留問題」を問う』 松本宏/著 1993.3 (MBC21)



著者は、昭和20年8月から昭和23年5月までシベリアに抑留されていた。シベリア抑留では、食料が極端に少なかった等の話が多いが、食料の供給方法を詳述した本は少ない。本書の著者は、日本側の主計として、捕虜部隊の食料を受け取る任についていた。
 本書の内容は、シベリア抑留されたいきさつや、期間の様子なども記載されているが、なんと言っても、抑留中の食料支給方法が述べられている点で、類書との大きな違いがある。シベリア抑留の実態を理解するうえで、必要不可欠の本だ。

 本書の記述によると、著者は、イルクーツクで捕虜になっていたときに、抑留者側主計として、ソ連側から食料を受け取る役を務めていた。本書の記述によると、定められた食料を受け取り、内容確認後、署名して、受け取りが完了するわけであるが、ソ連側は、少なく渡すとそれが賄賂になるので、なるべく少なく渡そうとするため、交渉が大変だったとのことである。旧日本軍ならば、ビンタで解決するところを、ソ連では交渉で解決するため、時間がかかったと記している。日本側主計が、ソ連側と共謀して、不正を働いたならば、日本人捕虜の食料は大幅目減りしていただろう。著者は、そのような不正をしなかったために、本書を執筆したものと思われる。
 シベリア抑留では、食料が極端に少なかった等の話が多いが、どのような不正が行われたのか、不正に、日本軍将校がどの程度関与していたのかを考える必要があるようだ。


山県泰三/著 『千島は訴える 屈従の29年』 昭和48年(教文社)

 

古い本なので、あまり読む機会はないだろう。内容もあまり参考になるものではないので、紹介する意味はないかもしれない。特に、読むことを薦めない。  
著者は国後島元校長
 
本書は、@ソ連進駐、A漁船拿捕、B千島のいくつかの話、C北方領土返還主張関連 と 独立した話題が記載されている。
 
@のソ連進駐は、植内にソ連が進駐したとき、および、植内の住民が脱出したときの様子が、ノンフィクション小説風に書かれているが、どこが事実で、どこが想像で書いたものなのか区別が難しい。ただし、珍しい話なので、史実を知る上でも、一定の参考にはなるだろう。  
Aは戦後、国後島沖で不法操業で拿捕された船長の物語。@同様、どこが事実で、どこが想像で書いたものなのか区別が難しい。
漁船拿捕の話は、多数あるので、この本の記述が特に参考になることは少ない。  
Bはいろいろな小さな話が羅列されているが、特に、興味がもてる物はなかった。   
Cは不正確な知識と感情で北方領土問題に対する主張を行っているようで、今となっては、参考になるところは少ないだろう。


『日本固有の領土 北方領土をとりもどす 北方領土問題がわかるQ&A』 日本会議事業センター/編 明成社 (2013/03)

 

 56ページの薄い本。
 本の表題から、北方領土を取り戻す対策を示しているのかと思ったら、そういうことはなくて、日本に都合の良いことを一方的に主張するだけのもの。こんなことでは、国際社会を説得できないどころか、北方領土問題を学習したものにとっては、ばかばかしい、虚言に過ぎない。
 多くの記述では、この本を読むよりは、外務省が無料で配布しているパンフレット『われらの北方領土』を読んだほうが優れている。
 
 現在行われている北方領土返還運動の多くは、四島返還を主張するものであるが、現実の外交的解決はでは、100%日本の主張が満たされることはない。このため、北方領土返還要求は、日ソ国交回復以来、完全に膠着着状態に陥ってから55年がたっている。本書のように、一方的に日本に都合の良い勝手解釈で日本の正当性を主張しても、解決策がなければ、領土問題解決には、何の役にも立たないだろう。


『知られざる日露の二百年』アレクセイ・A・キリチェンコ/著, 川村秀/編, 名越陽子/訳 (2013/3/6) 現代思潮新社



 著者は元KGB第二総局員で日本担当。第二総局はソ連国内で防諜・公安を担当する部署で、東西冷戦時代に日本大使館やソ連進出日本企業のスパイ活動や、犯罪行為を防止する役割が与えられていた。日本大使館などが重要なスパイ活動を行っていたり、重要な機密情報を扱っていたことは少ないので、KGB内における著者の役割は、大きなものではなかっただろう。なお、ソ連国外で活動する部署は第一総局であり、こちらには、きわめて有能な人材が充てられていた。

 著者は旧ソ連の資料に接する機会がある程度あったようで、そのような視点から書かれていると思える記述もあり、日ソ関係の歴史を解明する上で、一応の参考になる本だろう。しかし、資料に基づく記述なのか、単なる思い込みのよるものなのか判然とせず、本書の記述をそのまま事実と受け止めることは出来ない。
 ソ連崩壊後、多くのソ連人は生活に窮し、国外で職を得る人たちも多かった。ソ連の大学教授が日本の大学教授ポストを得て、年収が100倍以上になったケースも珍しくない。日本で仕事をしたい人は、日本での就職に都合の良いような就職活動を行うわけで、本書の著者もそのような視点で、日ソ関係史を書いているのではないかとも思える記述が多い。それから、もともと歴史研究者ではなく、特に日本の歴史にもソ連の歴史にも詳しいわけではないので、本書が正確な歴史を記述しているとは思えない。

 このような歴史研究上の他にも、常識で考えれば分かりそうな、いい加減な記述も、散見される。
   P74には、次の記述がある。ちょっと長いが、全文を掲載する。

朝鮮人の二度目の強制移住  内務人民委員部管理部長の三等人民委員G・S・リュシコフはとてつもない空想話を作り上げた。  彼はロシア秘密警察の重要人物N・I・エジョブにたいして、沿海州とアムール川流域における日本の活動基盤をなくさせるために、満洲と国境を接するソ連領土からすべての朝鮮人を中央アジアとカザフスタンへ即刻移住させるという天才的アイデアを持ち込んだのだ。これほどばかげた提案はないだろう。なぜなら朝鮮人は一九一〇年に日本に祖国を併合されたため、いうまでもなく日本を敵としていたからだ。しかしクレムリンは作り話を実話に変えることには抜きんでていた。日本人に侮辱された朝鮮人を遠ざけておけば安心だろうと考えたスターリンは、寛大にもこの提案を許可した。

   確かに、著者の言うとおり、朝鮮は日本に併合されたので、日本を敵と思い、日本に敵対した朝鮮人がいたことは間違いないが、日本に好意的で、日本の方針に協力することで自分の利益を図った朝鮮人がいたこともまた事実である。日本に協力的な朝鮮人を排除しようとするのは戦略として当然のことだ。

 P152の記述は、どうしたことだろう。著者は、ソ連・ロシアの標準的な歴史教科書を学んでいないのだろうか。それとも、知っていながら、日本人はどうせバカだろうからいい加減なことを書いても分からないだろうと思って、書いたのだろうか。
 戦争末期にソ連が日ソ中立条約を破棄して宣戦布告・参戦したことに、次のように書かれている。

ソ連(ロシア)の研究者たちは、この条約破棄を国際法的に合法であると証明しようとしている。しかし条約規定によりこの条約は一九四六年四月二十五日まであと一年間は有効であるという事実を彼らは完全に無視している。

 対日参戦時には、日ソ中立条約の残存期間だった。このため、ソ連は抜かりなく、米国から、参戦は国際法上合法であるとの公文書を得た後に参戦を決定している。また、国際法廷である極東国際軍事裁判所の判決でも、ソ連の参戦が国際法上合法であるとの判断が確定しているので、いまさら日本に都合の良いいい加減な主張をしても、日本で就職が有利になる以外に、何の効果もないだろう。日本では、米国公文書や裁判所の判決に注意する人はほとんどおらず、条約を日本に都合良い一方的解釈をすることが多いが、ソ連・ロシアでは、この問題については、連合国見解や国際司法判断など権威ある解釈を引用することが多いので、著者がこのことを知らないはずはないと思うのだが。よほど、勉強不足なのだろうか。

P157〜P166に、「広島の子供たち」と「イワノフのコップ」の項がある。アルコールで放射能予防が出来るとの説明をしているが、このような考えは、今のところ都市伝説であり、考慮する意味は乏しく、歴史書には必要のない記述だろう。

 著者は、日本人シベリア抑留俘虜問題にかかわっていた経歴がある。このため、日本人捕虜問題の知識が多少あるのだろうかと思いきや、「第七章 ロシアにおける日本人捕虜」でいきなり、知識の浅薄さを白状するような記述があってがっかりした。

 日本の降伏文書調印(一九四五年九月二日)以前にスターリンは一九四五年六月二十六日付ポーツマス宣言第九項を著しく違反した。第九項では「日本軍は武装解除後、平和な労働生活をおくれるよう帰国を許可される」と述べられている。すべての戦勝国はこの項目を守り、武装解除後の日本軍捕虜を、戦争中に罪を犯した者を除き帰国させた。ソ連だけがポーツマス宣言第九項を無視した。五十二万人以上の旧日本軍人が欺隔的な方法〔トウキョウ・ダモイ(東京へ帰る)と偽った〕で一九四五年九月-十月に強制的にソ連領内に移送され、主にシベリアと極東に置かれたソ連内務省の軍事捕虜及び抑留者用管理総本部の収容所に入れられた。

 ずさんな知識だ。南方戦線で、イギリス軍は投降日本軍人を「被武装解除軍人」として、強制労働に使役している。戦争俘虜ではないので、ジュネーブ条約に定められた俘虜の権利も認められなかったため、旧日本軍人は、屈辱的な仕事(糞尿の処理)や屈辱的扱い(口をあけて英軍人の小便を飲む)をされたものもあった。ソ連は、日本軍人を俘虜として扱ったので、国際法に認められた労働をさせていたが、屈辱的扱いはされず、無料で郵便を出す権利や病気治療の権利などが認められていた。
 それにしても、著者は、イギリス占領地の「被武装解除軍人」を知らないのだろうか。
 著者は、日本人シベリア俘虜問題にかかわってきており、KGB資料の公表などに一定の役割を果たしてきた。このような著者の業績は評価すべきであるが、著者の記述を単純に事実と考えるわけにはいかないだろう。

 北方領土問題では興味ある記述がある(P208)。

北方領土返還に最も強く反対しているのは、矛盾しているようだが、日本の漁師たちだ。現在極東ロシア海域は四つもの(!)機関(国境警備隊、漁業委員会、漁業管理局、農業省)が管轄している。一方でロシアの密漁者たちは国境警備機関に「料金を支払って黙認」してもらい、勝手に海産物を捨て値で日本に供給している。他方日本の漁師たちのために千島の経済水域ではロシアの機関がだれも夢想だにしなかったような最恵国待遇をつくりあげた。そのため日本の漁師はこう考える。  「もしロシアが突然北方領土を返したらどうなるのか?目ざとい日本の機関が早速監督しだすだろう。税金だって取るだろうし、わいろは取り締まるだろう。日本の民族の誇りなどどうでもいいさ。領土などいらない。大事なのは魚とコンブがあればいいんだ」。

 こういう漁師がいることは否定できないが、多くの漁師は返還されて日本の海になったほうが漁業がしやすくなるので、返還を望んでいる。2島でも良いからすぐに返還して欲しいとの考えと、4島でなければだめだとの主張があるかもしれないが、返還に本気で反対している漁師は少ないだろう。
 著者自身が漁師の真意を調査したとは考えられないので、日本の誰かから、いい加減な入れ知恵を、精査することなく、単純に信じ込んでしまったのだろうか。


 本書の記述には、いろいろと問題点もあるが、日露関係史を研究する参考書のひとつとしての意義は多いにあるだろう。


北方領土関連書籍のページへ   竹島関連書籍のページへ  尖閣関連書籍のページへ

北方領土問題のページへ      竹島問題のページへ      尖閣問題のページへ