ラペルーズ世界周航記〈日本近海編〉

       
本の紹介ーラペルーズ世界周航記〈日本近海編〉
      
ジャン・フランソワ・ガロー・ド ラペルーズ/著『ラペルーズ世界周航記〈日本近海編〉』白水社 (1988/02)
      
 宗谷海峡の欧米名にラ・ペルーズ海峡として名を残すラ・ペルーズは、1787年、東シナ海・日本海を北上しサハリン西岸を調査して、世界で初めて近代測量によりサハリンが島であることを確認した。沿海州東岸、サハリン西岸の調査が詳しい。さらに、最狭部に進むにしたがって水深が浅くなることを測定し、大型帆船の通行は困難であると判断した。その後、宗谷海峡を通って千島東側からカムチャツカに至った。ここで、調査記録を部下に託して陸路フランスに届けた。
 ラ・ペルーズ一行は、その後、オーストラリアを調査した後、太平洋の島で行方不明となった。
 本書は、ラ・ペルーズの航海記の日本語訳。最終章にはラ・ペルーズ遭難調査について書かれている。
      
 1787年4月、マニラを出港したラ・ペルーズの一行は、台湾東部を北上し、5月5日、与那国島に上陸後、尖閣列島のHoapinsu、Tiaoyusuの位置を、それぞれ、北緯25度44分・東経121度14、北緯25度55分・東経121度27分と測定した(P52)。5月27日、鬱陵島を調査し(北緯37度25分・東経129度2分)ダジュレ島と命名(P58)、さらに日本海を北上し、7月27日アムール川河口近くに至り、サハリンが島であること及び水深が浅く大型帆船では通行困難であることを確認した(P102)。さらに、宗谷海峡を通って千島列島に至り(P136)、千島東側を北上して、カムチャツカ半島に到着した。このため、宗谷海峡はラ・ペルーズ海峡と呼ばれる。