シベリア抑留最後の帰還者

    
栗原俊雄/著『シベリア抑留最後の帰還者 家族をつないだ52通のハガキ』 KADOKAWA (2018/1)
    
 シベリア抑留には「戦争捕虜」と「犯罪受刑者」の2種類があった。このうち戦争捕虜は昭和25年春までに生存者全員が帰還している。犯罪受刑者は昭和31年の日ソ共同宣言によって、全員が帰国することが合意された。
 本書は犯罪受刑者だった佐藤健雄がシベリア抑留中に往復した葉書を取り上げて、佐藤の抑留体験を著している。ただし、取り上げられた葉書は少ない。
    
 シベリア抑留と言うと、今から20年ほど前ごろまでは、単に「シベリア抑留はつらかった」「ソ連の対応が悪かった」「日本は悪くない」そんな内容ばかりだった。抑留体験者の多くが故人となった今、シベリア抑留で死亡した原因の一つに、日本人将校の対応の悪さが原因の一つであることが明らかになっている。本書も、そのような視点が少し書かれているので、昔のような苦労話本とは一線を画する。
    
 佐藤健雄は戦争捕虜ではなくて犯罪受刑者だったので、ソ連の待遇もおのずから異なっていた。本書にはその点の記述がなく、戦争捕虜の扱い一般に対する問題と受刑者の問題とが不明確だ。
 本書で取り上げられたシベリア俘虜郵便はがきは少ないが、シベリア俘虜郵便についても誤った記述が多い。俘虜葉書が国際法上認められているのは戦争捕虜に対してであり、犯罪受刑者に認められているわけではない。このため、佐藤健雄が俘虜葉書を出せても出せなくても、国際法は関係ない。どうも、この点を著者は誤解しているようだ。また、俘虜葉書が認められているからと言って、現実に郵便路線がなければ送達することはできない。日本がGHQに占領された当初、GHQは日本人の外国郵便を禁止していた。ソ連から俘虜葉書が届くようになったのは、日本の外国郵便再開後のことだった。本書では、日本の外国郵便が禁止されていた時期に、俘虜葉書が差し出せなった点をソ連の責任であるかのように書いているが、占領期の郵便事情の知識が乏しいのではないだろうか。
 また、P136には「優良労働者ら一部の抑留者に対して手紙を出すことを許可した」等と、いい加減なことが書かれている。このような抑留地があったかもしれないが、ことは、そう単純ではない。草地貞吾の本には、無理やり書かせようとしたことが記されている。
    
 ところで、最初の方のページに1通だけ俘虜葉書の表面の写真がある。これには、三角マークの検閲印があるので、KGBの管轄にあったことは明らかだ。戦争捕虜の多くは国軍の管轄だったので、ひし形か長方形の検閲印が押されている。52通のはがきがあるならば、その点も検討してほしかった。
    
 カバー裏側に「ソ連は国際法違反である抑留の実態を知られぬために、文書の持ち出しを固く禁じていた」と書かれている。近年、シベリア俘虜葉書の返信部も、結構市場に出回っており、それほど珍しいものではない。これから帰国して家族に会う人が、あたりさわりのない内容の葉書を持ち帰る動機も乏しいので、返信部が少ないのは言うまでもないことだが。著者が言うように、「文書の持ち出しを固く禁じていた」と言うにしては、市場に出回っている返信部が多い。もし、著者がきちんと取材した結果、本書を著したのならば、どのようにして持ち帰ったのかも書けばいいのに。