北方領土問題、その原点はなにか?


須田諭一/著『北方領土問題、その原点はなにか?』メトロポリタン新書(2015/11)

 本書は、これまで日本でいろいろと言われている北方領土問題の研究・解説・解釈をまとめたもの。日本政府の主張に都合のよいことを書くのではなくて、おおむね史実に沿った中立的な記述がなされている。北方領土問題に対する新しい知見があるわけではない。

 北方領土問題は日本とロシアの外交問題であるとの観点からすると、日露和親条約以降を考えればよいが、領土問題は民族の歴史観と深い関係があるので、近代以前の歴史をから解説する本が多い。
 本書は、北方領土問題を幕末の日露和親条約以降現在までの経緯を解説しており、それ以前の歴史的経緯の話はない。日露和親条約からサンフランシスコ条約までの期間の説明は多くなく、さっと流している感じがする。本書の主眼は、1956年の日ソ共同宣言以降の返還交渉の歴史に置かれている。

 このため、日露外交問題として北方領土問題の大要を理解するためには便利な本になっている。

 ただし、ちょっと疑問に感じる記述も多い。著者は、基本的な歴史や条約の理解が乏しいのではないかと感じる。一例をあげる。
 ソ連による北方領土への侵攻は8月28日から始まって9月5日に終了している。これは、日本がポツダム宣言受諾の意思を通告した後で、歯舞への侵攻は降伏文書調印後のことだった。この件に関して、P59に次の記述がある。 

降伏文書を署名するまでは、日本は正式に降伏したことにはならないので、百歩ゆずって国後島と色丹島まではいいとしても、歯舞諸島の占領は許せない行為です。ソ連の侵攻に対して、アメリカは特に警告を発することもなく黙認しました。
 著者は、ポツダム宣言・降伏文書・一般命令第一号を読んでおらず、単なるフィーリングで書いていると推察する。ポツダム宣言第7条によって、日本の諸地点は連合国に占領されることが決まっており、一般命令第一号では千島列島はソ連が武装解除することになっている。降伏文書によってこられの実施義務が課されているので、降伏文書調印後にソ連軍が武装解除に来ることは決められた手続きだった。このように、ソ連の進駐は国際合意に従った行為だったので、アメリカが異を唱えないのは当然のことだ。なお、小笠原や奄美を含む日本の多くの地点は降伏文書調印後に連合軍が進駐して占領された。千島の占領はどちらかといえば早いほうだろう。


 私が公開している北方領土問題の解説を読んでいただいている人は多いと思う。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/indexHoppou.htm

 本書の著者も読んでくれているのだろうか。もし、読んでいただいたうえで本書を執筆したとしたら、ちょっと申し訳ないと思う点がある。P191に以下の記述がある。 
国後島と択捉島の南部と北海道は植物に大きなちがいはみられず、択捉島と得撫島以北の島々では植物に大きなちがいがみられます(宮部線)。
 これ、昔の不十分な調査結果で考えられた植物分界で、最近の調査ではブッソル線のほうが植物分界としてふさわしいとの説が有力だ。この話は、北大博物館のパネルには以前から書いてあったけれど、一般的な本では見かけなかったので、私のホームページにも触れないでいた。しかし、2015年2月に出版された「千島列島の植物」には、この話が書かれているので、私のホームページもそろそろ変えないといけないと思っているが、まだ手を付けていない状態だ。千島の植生について正しく調べるようにサジェスチョンを与えられなかったとしたら申し訳ない。

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