シベリア抑留参考書
草地貞吾/著『関東軍作戦参謀の証言』(1979.10)芙蓉書房
著者は関東軍作戦参謀として戦争に従事した後、捕虜としてシベリア抑留となり、裁判で受刑者となった。日ソ国交回復の時に、日本に帰国した。本書は、シベリア抑留の時の様子を著者の立場で書いている。
シベリア抑留者は、初年度は将校たちによって管理された。この時期には、将校に管理された兵に多数の死者が生じている。2年目以降になると、捕虜に対して、ソ連は共産主義教育をするようになった。そして、共産主義者になった捕虜が、他の捕虜を管理するようになっていった。日本人将校が管理していた時期は、日本兵の死者が多発していたが、2年目以降になると死亡も減っていった。しかし、将校にとっては、逆に管理されいじめられる側になった。
本書は、旧日本軍将校による自己正当化のための記述なので、シベリア抑留の全体像を伝えるものではなく、ソ連により理不尽な扱いを受けたことと、共産主義に感化した日本兵、特に浅原正基に対する恨みつらみが書かれている。
P239〜P304には、日本へ俘虜葉書を差し出した状況が書かれている。これによると、著者が最初に俘虜葉書を書いたのは昭和21年10月6日とのことなので、日本あてシベリア俘虜葉書の第一便だと思わる。また、この時以降、書きたくないのに、共産主義化した日本兵に書くようにしつこく言われたことなどが記されている。
シベリア俘虜葉書に対しては、「優良労働者ら一部の抑留者に対して手紙を出すことを許可した(栗原俊雄/著 シベリア抑留最後の帰還者 家族をつないだ52通のハガキ)」のような誤った記述が散見される。本書出版からすでに40年近くたっているのに、このような誤りがまかり通っているのはどうしたことだろう。
最終更新 2022.2