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阿部正弘(あべまさひろ)の墓

 幕末期の老中首座

 墓所:東京都台東区谷中7丁目 谷中霊園 乙11号1付近 

 1845年(弘化2年)水野忠邦が老中を辞職したことにより、安倍正弘が老中首座となる。1855年に堀田正睦が老中に再任され首座となるまで、老中首座を続けた。この時代は、ペリーの来航、プチャーチンの来航など鎖国体制が崩壊した時期で、阿部正弘は海上防衛強化や洋学の導入などに尽力したともいえるが、有効な策を打てないままに、徳川幕府崩壊に至らしめたともいえる。

 日本の近代化の歴史の上で、阿部正弘が重要な役割を演じたことは確かであり、日露関係においても一定の役割を果たしている。しかし、「日露関係ゆかりの人」として挙げるのは、ちょっと無理がある。

 谷中霊園乙11号1の北側に寛永寺谷中霊園管理事務所の建物がある。さらにその北側が阿部正弘一族の広大な墓所になる。塀と門扉があるが、門扉は通常開いているので、立ち入ることができる。
 

墓所は広い 左右にずらっと並ぶ墓石
夕方は逆光で撮影に向かない


ずらっと並ぶ墓石の中で、安倍正弘のものは左列の一番奥


阿部正弘の墓 備後福山城主
侍従伊勢守
従四位下安倍
朝臣正弘墓
六月十七日卒
行年三十
有九


最終更新 2019.5


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