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岩村通俊(いわむらみちとし)の墓

 土佐藩士。すすきの遊郭建設。初代北海道庁長官。

 墓所:東京都台東区谷中7丁目 谷中霊園乙12号9側
 


 明治4年、開拓使判官として札幌に着任すると、既に建てられていた家々に火を放って、札幌を焼け野原にした後、計画的に整備された町を建設した。また、札幌に遊郭「すすきの」を建設した。
 明治6年に、佐賀県令に転任して北海道を離れ、その後、鹿児島県令、沖縄県令などを務めた。
 1882年、沖縄県令・上杉茂憲は、日本の芸娼妓解放令(1872年)と同様の命令を布達すると、辻遊郭の娼妓たちが自由廃業を求めた。この騒動の直後、上杉県令は免官となり、代わって岩村通俊が沖縄県令に就任すると、岩村は沖縄の芸娼妓解放令を撤回した。(吉見義明「買春する帝国」P23)

 明治19年に北海道庁が設置されると初代長官に任命された。明治21年、元老院議官に就任し北海道庁長官を退任した。

岩村通俊5男の岩村通世はA級戦犯容疑者となりその後不起訴となった。

岩村通俊一族の墓所は広い 鳥居の後ろに立つ3本の墓石の中央が岩村通俊のもの

岩村通俊一族の墓所は広い。 父・英俊の墓


参考

開拓長官ー東久世通禧
開拓判官
 東京ー松浦武四郎
 函館ー岩村通俊(明治3年小樽へ転任)
 銭箱ー島義勇
 小樽ー岩村通俊
 根室ー松本十郎
 宗谷ー竹田信順
 樺太ー岡本監輔

最終更新 2019.9


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