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河尻春之(かわじりはるゆき)の墓 (河尻肥後守)
旗本、松前奉行
墓所:東京都中野区沼袋2丁目28 法光山 久成寺(日蓮宗)
文化4年(1807年)10月、奉行所が箱館から松前に移転したときに、箱館奉行を務めていた戸川安論・羽太正養は引き続き松前奉行となった。このとき、新たに河尻春之・村垣定行が松前奉行に就任し、4人奉行体制となった。河尻春之は、文化6年(1809年)7月まで、松前奉行を務めた。
参考文献:函館市史 通説編1 通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世 第3章 幕府直轄下の箱館
久成寺の本堂右側に墓地があるが、墓地の奥の塀に面したところに、河尻春之の墓がある。塀の反対側は他の寺の墓地。
河尻春之の墓の隣には、河尻下野守の墓がある。河尻下野守は先祖の人。
河尻春之の墓 備後守従五位下河尻春府君墓 |
河尻春之の墓は河尻下野守の墓と並んでいる | 河尻下野守の墓 河尻下野守鎮行朝臣之墓 |
久成寺 | 隣の百観音 |
最終更新 2019.7
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