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古賀謹一郎(茶渓) の墓

儒学・漢学・洋学者。プチャーチンの来航に際して応接掛を務める。

墓所:東京都文京区大塚五丁目39番地 先儒墓所 (場所は入って左奥)

 古賀謹一郎は、高名な儒学者である古賀精里の孫。
 嘉永6年(1853年)、プチャーチンの長崎来航に際して応接掛として、交渉にあたる。翌年、下田来航に際しても、プチャーチンと交渉にあたった。


 古賀謹一郎の墓は大塚先儒墓所にある。先儒墓所に入ると、すぐに案内看板があるので、古賀謹一郎の墓の場所は容易にわかる。左側奥に古賀一族の墓があるので、そのうちの一つ。

古賀謹一郎の墓
「茶渓古賀先生之墓」
古賀謹一郎の墓
側面に字が彫ってあるが、読めない
古賀一族の墓


 先儒墓所は儒教の墓で国の史跡に指定されている。
 普段は施錠されているので、見学するときは、南20m程度のところにある吹上稲荷神社でカギを借りる。もっとも、私のようにスリムなら、塀と門の隙間から入れるだろう。見学した時、先儒墓所は一面ドクダミに覆われていた。

先儒墓所入口 門扉は施錠されている 吹上稲荷神社でカギを借りる
インターホンで用件を伝える


先儒墓所はドクダミの原だった 先儒墓所の碑 案内看板は古くなって見づらいが読める

最終更新 2019.5


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