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松田伝十郎

 樺太が島であることを最初に検分した日本人
 
 墓所:不明


 樺太が島であることを検分すると、間宮林蔵に樺太が島であることを教え、最狭部を案内した。

 1799年、蝦夷地が幕府の直轄地になると、松田伝十郎は蝦夷地取締御用係となり、エトロフ島・カラフトなどへ赴任した。これは、1822年に蝦夷地が松前藩に返還されるまで続いた。
 松田伝十郎は蝦夷地赴任記録を「北夷談」として執筆した。以下のように7回に分けて書かれている。

 第1回:1799年、アッケシに上陸してアブタに赴任しここで越年。
 第2回:1803年、エトロフ島に赴任しここで越年。帰府後、ロシアのカラフト・エトロフ島襲撃事件が起こる。
 第3回:1808年、ソウヤに赴任して、カラフト探検をする。
 第4回:1809年、カラフトに赴任して、越年。カラフトアイヌが山丹交易で多額の借金を背負っていたため、幕府の金を使って、借金を清算する。
 第5回:1812年、カラフトに赴任して、山丹交易の改革に努める。翌年、松前にてゴロウニンの警備に当たる。
 第6回:1817年、江差に赴任。
 第7回:1820年、函館に赴任。1821年、宗谷・カラフトを見回り、マシケで越年。1822年、蝦夷地の松前返還にともない御用済となる。

 1808年の第3回渡航では、松田伝十郎が西海岸を探検し、間宮林蔵が東海岸を探検した。松田伝十郎は、樺太と大陸の海峡最狭部南端(ラッカ岬)に達し、樺太が島であることを確認し、「樺太は離島なり、大日本国国境と見極めたり」と記している。松田伝十郎は、ラッカ岬から大陸の山々が近くに望まれ、その間の水道は四里ばかりで、それより奥は海幅も広く、北方に遠くマンコー河口も望見された。さらに、現地住民から、ここより6日ばかり北航すればヌエフトと言うところに出られると聞いたので、樺太が大陸とつながっていないことを確認した。間宮林蔵は途中で東海岸探検を断念して、西海岸に移動し、松田伝十郎の案内でラッカに至り、カラフトが島であることを確認した。
 当時、大陸の山丹人(満州人)がカラフトで交易をしていたが、そのなかで、カラフトアイヌは多額の借金を背負っていた。借金のカタに奴隷として、大陸につれて行かれる者もあった。松田は、アイヌの借金の清算に尽力して、山丹との交易を正常化した。
 カラフト探検では、当地の夷人は、頻繁に大陸に渡っていること、さらには、満州の役職名をもらっている者がいることなどを見聞している。


松田伝十郎による樺太最狭部の検分記録

からふと嶋奥地見分仕候趣奉申上候書付 松田伝十郎

 からふと嶋と山丹地との間、海浅ク、引汐之節は遥沖合迄出洲二相成、蝦夷船二而も通船難相成、山丹地方は少々深キ由、乍去大船之通船難相成旨、ノテト住居之もの共申之候。
 ナッコより奥之方、海幅打開キ広ク相見へ申候。からふと離嶋二相違有御座間敷と奉存候。ナッコより六日路も奥之方江罷越候得ば、東海岸ヌヱフトと申所江出候由。此間浅瀬にして蝦夷船二而も通船難成、尚又汐路甚強ク御座候
 是迄年々シラヌシ江交易二相越申候山丹人、ナッコ江渡海仕、夫より海岸通リシラヌシ江罷越候儀に御座候。
 六月廿日ナッコよりノテト江罷帰候処、間宮林蔵儀、東海岸シレトコ迄罷越、夫よりマアヌイと申所へ引返、山越仕、西海岸クシュンナヱと申所江出、夫より海岸通りノテト江罷越候二付、出会仕候。同十二日又々林蔵一同ナッコ江渡海仕、夫より壱里半斗リも可有御座ラッカと申川迄罷越、此所二而得と見分仕候処、前文之通、当方地方浅瀬にして蝦夷船も通船難相成、陸路海岸も泥二而踏込歩行難相成、此所より見切罷帰り申候。ノテト江渡海日和無御座、廿四日迄ナッコに滞留仕、翌廿五日ノテト江帰帆仕候。
 (『東韃地方紀行』東洋文庫484(1988/5)平凡社 P196)

 松田伝十郎は、ナッコ(ラッカ)に到達し、樺太は離島であると検分した。
 また、海峡は浅いので、大船の通船は困難としている。間宮林蔵の記述でも、海峡には浅瀬が多くて海路を熟知しないと通船が困難であるとし、同様な証言をしている。
 1849年、海軍軍人ゲンナジー・ネヴェリスコイは、海峡を帆船が通行可能であることを示し、松田伝十郎や間宮林蔵の推定が誤りであることを実証した。


 Wikipediaには、松田伝十郎死後に吉祥寺喜蔵庵に葬られたとある。吉祥寺は東京都文京区本駒込三丁目にある曹洞宗のお寺で、ここには榎本武揚の墓がある。喜蔵庵は榎本武揚の墓の私道を挟んだ向こう側にあったが、今ではその場所は全て墓地になっている。このあたりに、松田伝十郎の墓がないかと探したが見つからなかった。
 中島欣也/著『幕吏 松田伝十郎のカラフト探検』新潮社 (1991/02) では、松田伝十郎の墓は「今その跡はわからなくなっている」としており、なくなってしまったようだ。

このあたりに喜蔵庵があった

最終更新 2019.7


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