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水野忠徳(みずのただのり)の墓 水野筑後守
外国奉行。ロシア海軍軍人殺害事件の日本側責任者だったが、いい加減な対応に終始。
墓所:東京都中野区上高田1丁目27-6 松雲山 宗清寺 (曹洞宗)
旗本。長崎奉行・外国奉行。
長崎奉行時代に日英和親条約を締結。また、日露和親条約の追加条約を締結した。
安政5年、外国奉行として、安政五カ国条約のうち、日英・日仏修好通商条約の調印者の一人となっている。
安政6年、横浜で、ロシア海軍少尉ロマン・モフェトと水兵イワン・ソコロフが武装した日本人に襲われ死亡する事件が起こると、水野忠徳が幕府の責任者となった。しかし、対応を部下に丸投げする無責任な態度だったため、諸外国から批判を浴び外国奉行を解任された。その後、外国奉行に再任され、文久遣欧使節の候補となるが、この時の態度が外国使節団から嫌われ、使節団から外された。
宗清寺の両隣とも寺。宗清寺の墓所は寺の後ろと少し離れたところの2か所ある。少し離れたところのほうが古い墓が多いが、水野の墓は寺の後ろにある。本堂のすぐ後ろなので分かりやすい。
宗清寺の左隣は保善寺。ここには、小栗上野介忠順の墓があったが、現在は雑司ヶ谷霊園に移されている。
本堂の裏すぐのところにある 本堂裏から見下ろせる |
水野家墓所 | 水野忠徳の墓 従五位下源朝臣筑後守水野忠徳墓 |
宗清寺山門 | 宗清寺本堂 |
最終更新 2019.7
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