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村垣範正(むらがきのりまさ)の墓  (村垣淡路守)

 蝦夷地・樺太巡視、プチャーチン応接係、万延元年遣米使節副使

 墓所:東京都台東区谷中7丁目 天王寺 

 村垣淡路守範正は旗本。村垣定行の孫。村垣範行の次男。
 プチャーチン来航の時は伊豆下田で応接掛を務める。箱館奉行、神奈川奉行、外国奉行、勘定奉行を歴任。
 ロシア軍艦対馬占領事件に際して、箱館奉行としてロシア総領事にロシア艦の退去を要求する。
 万延元年遣米使節副使として米国に渡り、世界一周して帰国した。命令をこなすだけの官吏だったようで、アメリカや世界を見たことを、その後の日本の発展に役立てることはなかった。村垣と比較すると、同行の目付・小栗上野介忠順は、帰国後、横須賀造船所の基礎を築くなど、日本の発展に尽力している。

 墓所は谷中霊園に隣接した天王寺の墓地。谷中霊園と一体化していて区別はつきにくい。ただし、谷中霊園は番号が付けられていてわかりやすいが、天王寺の墓地は番号などないので探しにくい。
 日暮里駅を降りて、谷中霊園に入るとすぐに、道の右に鬱金桜がある。谷中霊園の番号では「甲9号新1側」の手前。この後ろに、斜め右に入る道があるので、その道をどんどん進んで、半分以上歩くと、左側に村垣範正の墓があり、右側に佐藤一斉の墓がある。

墓所は少し広い 子孫の墓誌

村垣範正の墓石
靖〇村垣府君淡叟墓
墓石側面 村垣範正の業績を刻む石碑



場所の説明

日暮里駅を降りて、谷中霊園に入るとすぐに、道の右に鬱金桜がある。
谷中霊園の番号では「甲9号新1側」の手前。
この場所の後ろの道を入る。墓地の半分以上歩くと、村垣範正の墓がある。
鬱金桜の背後には大橋一蔵の碑。
大橋は江別で開拓に尽力した。


朝倉文夫の墓

 村垣範正の墓をさらに進むと彫刻家・朝倉文夫夫妻の墓がある。

最終更新 2019.8


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