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中川五郎治の墓
 
墓所:北海道松前郡松前町松城341  松前山 法源寺(曹洞宗)

墓所:北海道函館市船見町21-11 高龍寺 (中川家の墓所)

顕彰碑:北海道松前郡松前町松城 松前公園


 中川五郎治は択捉島番屋にて、番人小頭として、漁場取締りをしていた。1807年、ロシアの軍人フヴォストフの襲撃で捕虜となり、シベリアに連行された。このとき、ロシア人医師の助手となり種痘法を習得した。1812年に帰国したとき、ロシアの種痘書2冊を持ち帰っており、このうちの1冊を馬場佐十郎が「遁花秘訣」として訳出した。
 中川五郎治は1824年ごろから種痘を実施しているが、中川の種痘術が広く伝わることはなかった。

 日本で種痘(牛痘)が普及するのは、バタヴイアに注文した痘痂が長崎に伝わった1849年以降である。
 1857年〜59年、桑田立斎・深瀬洋春らにより、アイヌへの強制種痘が実施された。これは、北海道のみならず、樺太や千島でも実施された大規模なものだった。

 吉川昭/著『北天の星 上下』(1975/11)講談社 は中川五郎治を主人公とした歴史小説
 上巻はロシアのエトロフ島襲撃で中川五郎治らが逮捕されるところから、シベリアで脱走を試みて相棒の左兵衛が腐ったクジラ肉を食べて死ぬところまで。
 下巻は中川五郎治が死ぬまでで、リコルドの船で帰国するところや、種痘の話を含んでいる。この本の中で、痘苗はたまたま入手できた天然痘に罹患した牛の瘡を使ったとしている。
 また、この本の最後に、法源寺の墓は中川五郎治両親の墓で、五郎治の墓の場所は不明と書かれている。

松前公園に「中川五郎治顕彰の碑」が建てられている 近くの法源寺墓地には、中川五郎治の墓を示す看板が有ったが、
実際の墓がどれなのだか、分からなかった


最終更新 2019.6


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