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岡本監輔(おかもとかんすけ)の墓
樺太巡視。日本人として初めて樺太を一周。維新後箱館府権判事、開拓判官。
墓所:東京都港区西麻布二丁目21-34 長谷寺(ちょうこくじ)
岡本監輔は阿波国の医師の子として生まれる。松浦武四郎の影響を受けて樺太開拓に思いを抱き、1863年に、箱館奉行所の組頭だった平山謙二郎(平山省斎)の口添えで樺太に渡った。岡本監輔の樺太探検は、1871年(明治4年)3月樺太を引き揚げるまでの8年間に4回行われた。当時の樺太は、日露和親条約により、日露雑居地として国境が定められていなかったが、実際にはロシアの進出が顕著だったため、岡本監輔は幕府や明治政府に対して、移民を送り領有実績を作ることを主張した。彼の主張は受け入れられることはなく、1875年に樺太千島交換条約が締結され、樺太全島はロシアの領土になった。
その後は、新たに日本の領土となった千島の開拓を目指して「千島義会」を結成し、1892年には船を調達して千島列島へ向かったが、途中、エトロフ島沖で難破して計画は頓挫した。その後、帝国議会に千島開拓を請願するも否決された。
長谷寺は曹洞宗大本山永平寺別院。
大きなお寺で、墓地もある程度広いので、岡本監輔の墓を見つけるのは、一苦労かもしれない。墓地は入って左側にあるが、そのうち、一番お寺に近いところ、庫裡の裏当たりに岡本監輔の墓がある。金閣寺垣で囲われているので、それを目印にするとよい。
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墓所は庫裡の裏側にある | 韋庵 岡本監輔墓 | 岡本家之墓 |
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岡本監輔の墓所は金閣寺垣に囲まれている | 長谷寺は曹洞宗大本山永平寺別院 |
林啓介/著 『樺太・千島に夢をかける 岡本韋庵の生涯』 新人物往来社 (2001/06)
本書は岡本監輔の生涯を描くノンフィクション小説で、徳島新聞が郷土の偉人を称賛した連載記事に加筆修正したもの。この手の伝記の特徴として、主人公を称賛する立場での一面的な歴史解釈となり、客観的な歴史とは言い難い面があるので、注意が必要だ。史実に反した記述というわけではないが。
平たく言えば、故郷の偉人をたたえるヨイショ本。
最終更新 2019.8
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