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志賀義雄の墓
日本共産党幹部、衆議院議員
墓所:東京都府中市多磨町4丁目628 多摩霊園 25区1種76側1番
戦前から共産党員。1928年治安維持法違反で逮捕され敗戦まで18年間獄中生活が続く。この間、志賀は一切転向拒否を貫いた。戦後になると、徳田球一らとともに日本共産党の再建に尽力する。1946年、戦後初の総選挙で当選した。1950年、徳田が武闘路線をとると、これに反対し宮本顕治らとともに国際派となった。これに対して、徳田球一は志賀義雄を事実上除名処分にした。1955年に共産党が武闘路線を放棄すると、志賀義雄は共産党に復活し、同年の27回総選挙から連続4回当選した。
1963年、部分的核実験停止条約が調印され国会で審議されると、中国共産党寄りの宮本共産党はこれに反対する。しかし、志賀義雄は党執行部の方針に反して部分的核実験停止条約の採決では白票を投じた。日本共産党は志賀義雄らを除名した。このとき、志賀は、鈴木市蔵、神山茂夫、中野重治らと共に「日本共産党(日本のこえ)」を結成した。しかし「日本のこえ」の支持は広がらなかった。
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最終更新 2019.5
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