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高松凌雲(たかまつりょううん)の墓
医師。箱館病院院長。ロシアとは関係ない。
墓所:東京都台東区谷中7丁目 谷中霊園 乙5号2側
蘭方医。パリ万博派遣団に医師として随行。万博終了後、そのままフランスに留学。明治元年5月大政奉還に伴って帰国し、榎本武揚の旧幕府軍に加わり、箱館病院院長を務める。
当時、函館には船乗りや稼業の男たちが多かったので、彼らの相手をする売春の女たちも多かった。彼女たちは貧しく、病気になってもロクな医療を受けられない状態だった。このような悲惨な状況の中で、函館の医師たちは、救済のための病院建設を目指した。当時、ロシア領事はキリスト教の救済精神によって、病院建設を目指していたので、これに対抗する気持ちもあったのだろう。病院建設費用の多くは遊女屋から借り受け、遊女の治療費で返済した。翌年、ロシアによる病院ができると、医療技術の高さなどのため、ロシア病院のほうが人気だったようだ。このロシアによる病院は明治以降まで存続した。
函館病院や函館のロシア病院については、以下の資料に詳しい。
函館市史 デジタル版 通説第1巻第3編第5章第13節−1 衛生
函館市史 デジタル版 通説第2巻第4編第12章第1節−1 函館病院の解説と役割
高松凌雲は、箱館戦争では敵味方の区別なく診療した。箱館戦争後は東京で開院し、貧困家庭には無料診療を行った。
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最終更新 2022.7
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