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遠山景晋の墓


 長崎に来航したロシア使節レザノフの応接に当たる。この対応が悪かったために、のちにレザノフの襲撃を招いた。西蝦夷地見分では宗谷に達する。

墓所:東京都豊島区巣鴨五丁目35-6  本妙寺


 「遠山景晋」は「遠山の金さん」こと「遠山景元」の父親。景晋・景元ともに「遠山金四郎」を名乗っている。

 遠山景晋は、1802年「目付」に就任。1804年(文化元年)レザノフが長崎に来航したため、長崎に出張しレザノフの応接に当たった。この対応が悪かったために、のちにレザノフの襲撃を招いた。
 文化2年(1805年)5月、ロシア使節レザノフ一行が宗谷に上陸して、数日滞船する事件があった。幕府は8月、目付遠山景晋、勘定吟味役村垣定行に松前および西蝦夷地の視察を命じた。遠山景晋は同年冬に松前に到着し、翌年、村垣定行と共に宗谷を巡検して、8月に江戸にもどった。この時の記録が「西蝦夷日記」として幕府に提出されている。
 その後、長崎奉行、作事奉行、勘定奉行を務めた。晩年隠居して「楽土」と名乗った。

 テレビドラマ「夢暦長崎奉行」では小林稔侍が遠山景晋を演じていた。


 「遠山の金さん」の墓所には遠山家一族の墓がある。「金さん」の墓の左後ろに「遠山景晋(楽土)」の墓がある。
 「遠山景晋」の墓石には「従五位下前左衛門尉勝原景晋入道遠山楽土之墓」と刻まれている。
 「遠山の金さん」こと「遠山景元」の墓石には戒名「帰雲院殿従五位下前金吾校尉松僊日亨大居士」が刻まれている。金吾校尉とは左衛門尉・右衛門尉と同じ意味。
 また、ここには「遠山の金さん」の息子・遠山景纂の墓もある。「敦行院殿誠信景纂日勇大居士」が景纂の墓。

遠山景晋の墓
「従五位下前左衛門尉勝原景晋入道遠山楽土之墓」
遠山の金さんの墓
「遠山の金さん」こと「遠山景元」の墓石には戒名「帰雲院殿従五位下前金吾校尉松僊日亨大居士」が刻まれている。



 本妙寺は巣鴨駅から歩いて10分強。巣鴨駅前の中山道(白山通り)を北上すると、10分ぐらいで豊島市場があるので、豊島市場前交差点を右折する。車の場合は一方通行逆走になるので、別の交差点を利用することになる。豊島市場前交差点を右折すると正面突き当りが本妙寺。
 本妙寺に入ると、墓地案内看板があり、有名人の墓の場所が書かれている。墓地内にも案内の表示があって分かりやすい。

本妙寺山門 本妙寺本堂 日蓮上人

入口看板 東京都教育委員会の看板 墓地案内図

最終更新 2019.5


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